2020年6月12日金曜日

若者への提言

 私は、50代半ばの女性です。「おばちゃん」と言われて久しく、ン十年になります。しかし、このところ、いつの間にか「あ」が付きはじめて「おばあちゃん」になって・・複雑な気持ちでいたのですが、何と12月には本物のおばあちゃんになります。
 初老にさしかかっている私たちも、始まりは皆20歳そこそこでした。神さまに召されて日本中から集められ、私たちは、自分に対する神のビジョンを受けるために大胆に信仰の海に漕ぎ出しました。そして、おのおのその信じるところによって踏み出していきました。
 ある者は、牧師として宣教地に赴き、たくさんの教会を立て上げました。1つの教会から、今や100を超える教会が出てきています。またある者たちは、あふれるばかりたくさんのリバイバルソングを作りました。そして、ある者は危険を覚悟の上で出て行って、孤児たちの母となりました。その頃はただ「ことば」しかありませんでしたが、それを十分として、信仰に立って出て行ったのです。
 それから、20年30年が経ち、働きは実を結ぶまでになりました。
 マタイの福音書25章に興味深い記述があります。「天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のよう」だ、とことわった上で、「おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントとを渡し」ました。皆出て行って、商売をし、それぞれ五タラント、二タラントもうけました。ところが、一タラントを受けたしもべは、地を掘ってそのお金を隠しました。やがて、主人が帰って来て、彼らと清算をしました。
 五タラント、二タラントもうけた者に主人は「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」とねぎらいの言葉をかけました。ところが、一タラントを預かったしもべは、「あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。私はこわくなり出て行って、あなたの一タラントを地の中に隠しておきました」と言い、主人の怒りを買います。銀行に預けておくべきだった、そうすれば利息がついて返してもらえたはずだ、こう言って彼の一タラントは五タラント持つしもべのものとなりました。
 私たちは、例外なくタラントを頂いています。このタラントには忠実であることが求められるのです。人それぞれ持って生まれたものは違います。しかし、大小にかかわらず与えられたものを用いることを神は忠実さと認められるのです。この点においても神は平等です。
 私たちの人生には例外なく神のみこころ、召しがあります。神は私たちを自由にし、どういう人生を送るのか私たちに委ねておられます。そして、やがて人生の実を結ぶ時がやって来ます。
  最後に、ある姉妹のことをお話ししたいと思います。彼女は、孤児院の働きをするという召しを受けていました。信仰を頂いて、神のことばを唯一の拠り所として単身某国に赴きます。内戦の中にあっても孤児たちの母となるために留まり、活動を続けました。今はそれから20年以上になります。先日私たちのキャンプに、孤児5名とともに来日しました。豊かな実が結ばれています。
 人生は、何かをするには少なすぎる、とお思いでしょうか。しかし、神の召しを行うには十分なのです。信仰のビジョンを高く掲げてください。大きければ大きいほど、結ぶ実も豊かです。何もしないで人生を送るのは、土の中にあなたのタラントを埋めるようなものです。
 「時」は恵みです。若者には手つかずの時があります。キリストイエスのしもべとなり、永遠に至る実を結びましょう。
(イスラエル北野)

MIKOE NEWSから転載」 2020年6月6日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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