2020年7月4日土曜日

サウルとダビデ 

 聖書の箴言に「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」(29章25節)という一文があります。人を恐れて失敗した代表的な器は、サウルでした。

 サウルは初代のイスラエルの王です。その当時イスラエルは、神自らが裁きつかさたちを通して治めておられていたにもかかわらず、民はそれを好まず、他国同様「王」がほしいと言い出し、大いに御心を損ねました。しかし神は、イスラエルに王を与えられます。それがサウルであったのです。サウルは容姿端麗でまた戦士でした。王になるにふさわしいと人々が思うような人物であったのです。

 ダビデは、召し出された頃は少年で、紅顔の美少年であったようです。神を恐れる人物で、彼もまた戦士でした。イスラエルの戦陣をなぶる大男ゴリアテを一つの石で倒した話はつとに有名です。女たちは「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と歌っては踊り、サウルの妬みを引き出しました。 

 二人とも罪を犯します。サウルは、アマレクとの戦いで、聖絶せよという主の御声に聞き従わず、良いものを惜しみ、価値のないものだけを聖絶し、さらには自分のために記念碑まで立てました。彼は主に聞き従っているつもりでいました。しかし、そうではないことをサムエルに告げられるとこう言いました。 

 「私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです」いささか弁解じみているように聞こえます。そしてサウルはサムエルに懇願します。「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目立ててください」(サムエル記第15章30節参照)サウルは神よりも人を恐れたのです。箴言のことば通り罠にかかってしまいました。 

 一方、ダビデもまた罪を犯しました。戦士ウリヤの妻を召し入れ姦淫の罪を犯し、さらには、その罪を隠すため激戦地にウリヤを送り死なせてしまいます。これもまた、大きく主の御心を損ないました。 

 預言者ナタンによって罪を指摘されるとダビデは直ちに「私は主に対して罪を犯した」と告白しました。核心を突く悔い改めでした。するとナタンは即座に「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない」という主のことばを取り次ぎました。 

 罪こそ犯してしまいましたが、ダビデは神への恐れを持っていました。罪は神の前に問われるものであり、悔い改めは神に対してなすものです。サウルは人を恐れたので神の前に本当の悔い改めができませんでした。 

 そしてそれがサウルにとっての罠となりました。私たちは人を恐れやすいものですが恐るべきお方は、父なる神さまおひとりです。この方を恐れることは正しい道であり、この方に信頼する者は守られます。

 MIKOE NEWSから転載」 2020年7月4日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

0 件のコメント:

コメントを投稿