2020年4月22日水曜日

幸いはお金にあらず

 人を幸せにするのは何でしょう。愛でしょうかお金でしょうか。
 ある雑誌で、デヴィ夫人に、お金はないけれど愛がある人と、愛はともかくも経済において不自由させない人と、結婚相手としてはどちらを選ぶと良いのでしょう、と質問した人がいました。
 デヴィ夫人の答えは、お金のある人でした。 お金に不自由させないことは1つの愛情で、それを与えてくれた人には、後に尊敬が生まれるものだから、夫婦関係はうまくいくというのです。
 私はこれを否定するものではありません。 伝道者の書には「金銭はすべての必要に応じる」と書かれています(10章19節)。
 確かに世にあってお金は万能で、向かうところ敵なしでしょう。 それを知っているので、多くの人がお金を持つために労苦しています。 お金さえあれば安全だ、幸いだと。
 しかし本当にそれでよいのでしょうか。短絡的ではありませんか。そこに見落としてきたものはないでしょうか。
 マルコの福音書8章でイエスさまは、次のように語られました。 「人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう」(26、27節)
 何よりも大切なものは「いのち」であるとイエスさまはおっしゃいました。たとい、私たちが全世界を得、全ての物を持っていたとしても、「いのち」がなければ何を得たといえるのでしょう。それを味わうことも触れることもできません。
 また、私たちが死んでしまったら蓄えたものは誰のものになるのでしょう。 こういう訳で人は帰り来ぬ風であって、実にはかない存在です。
 こんな私たちですが、神さまに深く愛されています。神は私たちにイエスさまを下さいました。イエスさまはわたしたちを十字架の死をもって贖(あがな)ってくださいました。
 ここに愛があります。
 神は愛です。 神の愛に勝る愛はありません。
 その愛は尊く、決してお金で買えるようなものではありません。ただ主イエスを信じることによって、無条件で与えられます。あなたもまた、神の元へ帰りましょう。
(イスラエル北野)

MIKOE NEWSから転載」 2020年4月22日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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