2019年6月5日水曜日

賛美の力

 賛美は強力な力を持っています。1983年1218日、杉並区高円寺にあるキリスト教会の一室で私は神さまに立ち返りました。
 牧師が祈ってくださったのですが、祈られると不思議なことに私の体が右へ右へと押されるのです。ついには畳の上に身を投げ出してしまいました。ややあって、何ばかな事をしているのだ、と立ち上がろうとした瞬間、聖霊に打たれました。
 幼い頃、日曜学校で歌っていた「いつくしみ深き」の1節が、突如私に触れました。「などかは下ろさぬ負える重荷を」。お前はどうして負っている重荷を下ろそうとしないのか? そんな言葉とメロディーに触れられ、その日、私はみ父の元に帰りました。
 その頃はちょうど、アメリカのリバイバルソングが、日本でも歌われるようになっていた時でした。中でも「シングハレルヤ」という歌は、シング・ハレルヤ・トウ・ザ・ロードという言葉を繰り返すだけです。しかしそのメロデイは絶妙で、涙ぐんでしまうような深いご臨在がありました。
 詩篇22篇3節に「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます」という一文があります。私たちが賛美によって触れられるのは、賛美の中に神ご自身が住まわれているからに他なりません。計り知れない強力な力が賛美にはあります。
 1989年8月、ダバオで、オーストラリア人宣教師のジャッキー・ハミルさんが殉教しました。銃撃戦の中で後ろから銃で撃たれ即死の状態でした。にもかかわらず彼女は、20分ほどその場で賛美をささげていたといいます。そして最期に、大きく息を吐いてイエスさまの所に向かいました。
 賛美は、生ける神が人に与えてくださった最高のささげものです。賛美を通して私たちは大胆に神に近づくことができるのです。(イスラエル北野)

み声新聞2019年6月9日号(第1045号)より転載—

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