2018年6月20日水曜日

トマス

 イエスさまは、かねてからお弟子たちに語っていた通り、十字架で死なれ、3日目によみがえり、復活のからだをもってお弟子たちに現れてくださいました。
 週の初めの日の早朝、イエスさまはまず、マグダラのマリアにご自身を現されました。そして夕方、ユダヤ人を恐れて戸を閉めていた家屋の中に集まっていた弟子たちに現れてくださいました。イエスさまは、「平安があなたがたにあるように」と言い、弟子たちは主を見て喜びました。
 ところが、12弟子の1人であるトマスは、イエスさまが来られた時に彼らと一緒にはいませんでした。他の弟子たちが彼に「私たちは主を見た」と言いましたが、トマスは信じようとせず、「私は、その手に釘(くぎ)の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」(ヨハネの福音書2025節)と言いました。
 1週間後の日曜日。弟子たちはまたも室内にいて、今度はトマスも一緒にいました。イエスさまはそこに現れ、トマスに言われました。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(27節)
 イエスさまは、トマスの言葉を聞いておられたのです。トマスは驚嘆し、「私の主。私の神」と言いました。イエスさまは「あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」(29節)とおっしゃいました。
 信仰には段階があります。目に見たものを信じることはたやすいことです。しかし信仰とは、神のことばに頼り、目に見えないものを見るようにして忍んでいくことです。それ故、イエスさまは、見ずに信じる者は幸いだ、とおっしゃいました。忍耐を働かせ、神のことばを信じましょう。(イスラエル北野)

み声新聞2018年6月24日号(第995号)より転載—

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