2018年6月6日水曜日

再臨に備える

 マタイの福音書24章は小黙示録と呼ばれ、終末の事柄、特に主の再臨に向けての備えの必要性が説かれています。イエスキリストは、定められた時に一度私たちを罪から贖(あがな)うために世に来られましたが(初臨)、今度は世の終わりに再び王としてやって来られます。これを再臨と言います。
 同25章には再臨を指すと思われる例話があります。イエスさまは、天の御国は例えて言えば、それぞれがともしびを持って花婿を出迎える10人の娘のようですと語られました。そのうちの5人は愚かで、5人は賢い娘たちでした。愚かな娘たちは、ともしびは持っていましたが、油を用意していませんでした。賢い娘たちは、ともしびと一緒に入れ物に油を入れて持っていました。
 花婿なるイエスさまが来られるのが遅れたので、皆、うとうととして眠り始めたところ、夜中になって「そら、花婿だ。迎えに出よ」と叫ぶ声がして、娘たちは皆ともしびを整えました。
 ところが愚かな娘たちは、油を用意していなかったので、ともしびが消えそうになりました。そこで、賢い娘に油を分けてくれるよう願ったところ、分けてあげるにはとうてい足りませんから店に行ってお買いなさいと言われ、買いに行ったところに花婿が来ました。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸が閉められました。
 花婿はキリストを指し、花嫁は教会、10人の娘は教会員、油は聖霊を指します。信者は聖霊に満たされて主の再臨に備えるよう勧められています。しかし、その日その時を私たちは知りません。それ故、目を覚ましていなさいと繰り返し聖書は語るのです。今、時代は再臨の時代に来ています。いつ主が来られても良いよう目を覚ましていましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2018年6月10日号(第993号)より転載—

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