2015年7月4日土曜日

同性婚
 最近、同性婚を認める動きが急速に広がっています。特にアメリカ各州において顕著で、日本でも渋谷区がいち早く同性愛を社会的に認知しました。
 どうして、こんなおかしなことがまかり通るのでしょう。ローマ人の手紙1章にはこう書かれています。「それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これらに仕えたからです。(中略)こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです」(2627節)
 これは同性愛に対しての聖書の見解です。聖書の昔から社会には同性愛が存在していたのです。これに関して聖書はどう語っているでしょうか。マルコの福音書には婚姻に関する奥義が書かれています。「しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れ、ふたりは一体となるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです」(10章6~8節)
 神は、人を男と女に造られました。そして、成年に達すると人は父母を離れ、一つになるべく婚姻を結びます。一心同体は、両性によって成るのです。一夫一妻婚こそ私たちが取るべき道だと思います。
 神を恐れましょう。ヒューマニズムは、互いに認め合うべきだと語り、同性婚を認知し支持しています。しかし聖書に照らし合わせてみれば、これはあってはならないものなのです。私たちは聖書に立ち返りましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2015年7月5日号(第839号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿