2013年8月16日金曜日


ぬかよろこび
 先日、引っ越しの準備をしていた処、50万円の通帳を見つけました。わが家に
もこんなものがあったのかと、訝しく思いましたが、引っ越しに当て るお金が
必要でしたので、喜びました。
 ところが2日後、もう一度貯金通帳を開けたところ、何とこのお金を担保にし
て借り入れがなされており、実質的にはそれは0円であると分かりまし た。私
の喜びは、一瞬にしてぬかよろこびに変わりました。
 これを許されたのは神さまです。神さまは私の心を探られました。私が一体何
を頼りにして生きているのかを問われたのです。私は現実の目に見える お金が
あった時はハッピーでしたが、それが夢と消えてしまえば、再びもとの不幸に逆
戻りしました。これがありのままの、肉なる性質というもので す。不信仰で、
神の言葉に信頼するより、状況に左右されるのです。
 話は変わりますが、ルカの福音書14章には、「あなたがたはだれでも、自分の
財産全部を捨てないでは、私の弟子になることができません」(33 節)と書か
れています。キリストの弟子になろうとするなら財産全部を捨てる時がやってき
ます。神さまが土台となられるためです。
 しかし、その道は人間的には何の当てもない道です。私たちはただ神の言葉を
頼りとして歩んでゆきました。請求書が山になったこともありますが、 本当に
必要な時には、必ず助けられました。人生において確かなものはお金ではなく、
約束の言葉であると知るまで、この訓練は許されます。そして、 神の言葉は文
字通り成就すること、見えるところによらず、見えない言葉こそ真に信頼に足る
ものであると学んでいくのです。神さまを信頼して歩みま しょう。   (イス
ラエル北野)

 み声新聞2013年8月18日号(第741号)より転載—

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