2013年4月27日土曜日


真実なことば
 月に一度、私たちの教会で礼拝のご奉仕をされていた宣教師のGさんはある時
ある思いに苦しみました。説教のご奉仕がうまくいかなかった、という 自責の
思いです。サタンが、奉仕の失敗という思いを入れたのです。
 打ちひしがれたGさんは、説教がうまく行かなかったということを祈りまし
た。力の足りなさを嘆く彼に、主は何と「忠実なしもべよ」と呼び掛けて くだ
さったそうです。予想外のことばにGさんの目から熱いものが流れました。神の
愛に触れたのです。
 Gさんの思いと、神さまの思いは異なりました。このように、私たちの見方や
判断と、神さまの見方や判断が異なるということは、よくあります。
 私たちの教会の南の方で牧会をしておられる某牧師は、自他共に認める、絶対
に牧師には向かない人でした。本人は、全く悪気はないのですが、なぜ か、
皆、彼と話をすると、怒り始めてしまうのです。しかし、会堂管理や会計など実
務に優れたものがあり、本人も「自分は牧師ではなく、会堂管理者 として献身
する」と語っていました。
 しかし、ある時神さまは、預言を通して「彼は牧師の器である」と語ってこら
れました。預言は吟味しなければなりません。居合わせた人は皆「これ は違う
だろう」と判断しました。
 しかし、主は再び語ってこられました。どうも本当に神さまが語っておられる
のではないかと判断した結果、彼は牧師として立てられました。今で は、複数
の教会を建て上げ、「まさに牧師にふさわしい」と教会の中でも慕われています。
 神さまは、あなたを正しく見てくださいます。神さまのことばこそ真実です。
神さまのことばに従いましょう。
         (イスラエル北野)

 み声新聞2013年4月28日号(第725号)より転載—

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