mana
近所のご意見番のおじちゃんの勧めに従って、私たち近所の子どもたちは全員「鳴門聖母幼稚園」に進みました。みな結構そこを気に入っていて、私は特にそこにある絵本がお気に入りでした。アメリカ版の『天から降ってきたパン』のお話です。まんまるした大きなパンが毎日降ってくるなんて、なんて楽しいのだろう。天国のパンを食べられるなんて、なんていいのだろう。食べたいな。食べたいな。どのような味をしているのだろう。毎日天から降ってくるなんて、素敵だな。素敵だな。その大きなパンは私たちの食欲を大きくかき立てました。
このパンは1人につき1日1オメルたっぷり与えられるという「マナ」であり、出エジプト記16章に書かれている「パン」であるのだと書かれています。クリーム味で好きなように調理できるとも書いています。その味を思ってみなうっとりしました。グラタンのように調味してもいいかなと思いました。蜜を入れたせんべいのようだとも書かれているし、どう調理してもおいしそうです。
マナ、とは出エジプトの際に1カ月したころ、「食べるパンがない。われわれを殺すつもりか」と神に向かって民がつぶやいたところで、神が現された栄光、また、さばきであって、夜露のようにそれがイスラエルの民の宿営の上に降ったのです。それを、1人につき1オメルたっぷり集めるよう、神は定めてくださったのです。多く集めた者も、少なく集めた者も、測ったところそれは、1オメルであったのです。安息日の分は、その日の分と、その次の日とが前もって与えられました。安息日を聖く保つためです。
よこしまな者たちは、安息日もこのパンを探しに出て行きましたが、それを見いだすことができず、また残しておいてはならないという教えに従わない者のマナには、虫がわき悪臭を放ちました。イスラエルの民は、牛や羊の群れと共に出エジプトしたわけですから、当然乳や凝乳にあずかってきたはずです。そのほかに、マナや肉を食いたいと叫んだその叫びは、主を怒らせるものでした。朝にはマナを、そして夕方になるとうずらが飛んできて宿営の回りに落ちて行くのです。
主はこう語っておられます。「あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。」(出エジプト記16章23節)
それで彼らは、モーセの命じた通りに、それを朝まで取っておきましたが、それは臭くもならず、うじもわかなかったのです。イスラエル人は、カナンの地の境に来るまで、40年間これを食べ続けました。そして、それは、1オメルたっぷりイスラエルの子孫のために契約の箱の中に収められています。
私はこのマナが結構広範囲に、また結構長期的に私たちの食事として食卓を潤したであろうと見ています。というのも、ある日、つきものが落ちたように、私たちが使っている「まな板」は実は「マナ板」ではないか、という考えが浮かんできたからです。マナを調理した板こそ、まな板の由来ではないかと思いました。
日本人はマナを調理する器具として、この板の上でさまざまに料理し、それを食卓調理に使う「まな(マナ)板」と呼ぶのではないかと思っています。
もしこれが本当だったら、受け継いできた日本料理のまな板を、さらにきれいにして受け継いでゆきたいと思います。文化とともに、継承とともに見えてくるものを大切にしていきましょう。イスラエルの10部族との関わりが見えてきそうで興味深いです。いわゆる日ユ同祖論も安易に否定することはできないのではないでしょうか?
MIKOE NEWSから転載」 2025年12月2日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/
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