2025年12月16日火曜日

 アドナイ・イルエ

 アブラハムという人物は神の器(奉仕者)で、知恵に満ち、誰にも増して神を恐れる人物でした。井戸で争いの絶えない身内のアビメレクに、「7頭の雌の子羊を分け、この井戸を私が掘ったという証拠として受け取ってください」と誓いを結び、こうしてそこをベエル・シェバと呼び、アブラハムは長い間このペリシテ人の地に滞在しました。

 『これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」』(創世記2212節)

 これは、人の命に関わるとんでもない仰せですが、この父子は、時を移さず従い始めます。翌朝早く、アブラハムはろばにくらをつけて、ふたりの若い者と息子イサクを連れて行き、全焼のいけにえのためのたきぎを割り、神がお告げになった場所へ出かけて行きました。3日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えました。

 『それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたの所に戻って来る」と言った。
 アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。
』(56節)

 イサクは言いました。「お父さん。」「何だ。イサク。」イサクは尋ねました。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

 もっともな問い掛けでしょう。しかしそれに対して、アブラハムはこう語りました。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に歩き続けました。二人で黙々と歩き続けることによって何らかの納得が、イサクの内にも目覚めてきたのではないかと思います。

 こうして、神がアブラハムに告げられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築きました。そして、たきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置きました。今やイサクの命も露と消えようとしていました。アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとしたのです。

 「アブラハム。アブラハム。」
その時、主の使いが天から彼を呼びました。彼は答えました。「はい。ここにおります。」

 『御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄牛がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名つけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。』(1214節)

 こうして、死を恐れなかったアブラハムは、息子の命を得、信仰を受けました。私たちは、今に至るまで主の山には備えがあることの証人です。神を恐れましょう。
 教会が初期の頃、私たちは、ジョージ・ミュラーの信仰をわが信仰として、世界に出て行きました。ただ神のことばを信じて従う信仰によって、世界に出て行ったあの信仰を思い出しましょう。

 アドナイ・イルエ、この信仰は変わることがありません。

MIKOE NEWSから転載」 2025年12月16日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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