ラザロの復活
ヨハネの福音書11章のことです。ベタニヤのマリヤの兄弟ラザロが、病気にかかっていました。そこで、姉妹たちは、イエスの所に使いを送って、言いました。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
イエスはこれを聞いて、言われました。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」。イエスさまは、マルタとマリヤ、そしてラザロを愛しておられました。それで、ラザロが病んでいることを聞かれても、そのおられた所になお二日とどまられました。そして、その後「もう一度ユダヤに行こう。」と弟子たちに言われました。イエスさまは、「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」とおっしゃいました。
お弟子たちは、「主よ。眠っているのなら、彼は助かるでしょう。」と言いました。それに対して、イエスさまははっきりとおっしゃいました。「ラザロは死んだのです。わたしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところに行きましょう。」。主はご自分がなされることを知っておられたのです。ところが、お弟子のトマスは「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」と、とんちんかんな事を言います。彼もイエスを信じてなかったのです。
イエスが着いた時、ラザロは墓の中に入れられて4日もたっていました。当時のユダヤ人の言い伝えの中で、死んで3日以内ならまだ死者の霊が黄泉(よみ)には行っておらず、生き返る可能性があると考えていたようです。しかし、4日たっていたら、もう生き返ることは絶対に無い、と考えられていました。ですから、ラザロの復活はメシヤでなければできない奇跡でした。このような状況の中、マルタは真っ先にイエスを迎えに行きました。そして言います。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。今でも私は知っております。あなたが神にお求めになるものは何でも、神はあなたにお与えになります。」
イエスは言われます。「あなたの兄弟はよみがえります。」。マルタは「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」と答えました。
すると、イエスは言われました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。私を信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
マルタは、「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」と立派な信仰告白をしました。
多くの人が泣いていました。また、イエスも涙を流されました。そして、死に対する憤りをもって、墓に来られました。墓はほら穴であって、石がそこに立てかけてありました。
「その石を取りのけなさい。」とイエスは言われました。マルタは「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」と返事をします。イエスは「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」と彼女に言われました。そこで、彼らは石を取りのけました。
イエスは目を上げて言われました。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」
そして、大声で叫ばれました。「ラザロよ。出てきなさい。」
すると、死んでいた人が、手と足を長い布に巻かれたままで出てきました。「ほどいてやって、帰らせなさい。」と主イエスは言われました。
ラザロは復活したのです。これを見た多くのユダヤ人がイエスを信じました。
死は、普通私たちにとって絶望です。しかし、イエスはこの場所で、それに打ち勝つ力をお持ちであることを示されたのです。イエスさまご自身も、十字架で死んだ後、3日目によみがえりを果たされました。イエスさま以降、死は、もはや人類を支配しないのです。死に打ち勝つまことのいのちが、イエスのうちにあるのです。そのことを示すために、聖書のこの箇所が書かれました。
イエスを信じる者は、死んでも生き、生きていてイエスを信じる者は決して死ぬことがありません。これが、イエスを通して神が約束されていることなのです。このことを、あなたも信じましょう。イエスさまは、神です。この方のうちには永遠のいのちがあるのです。私たちは、もはや死を恐れる必要はないのです。
それゆえ、イエス・キリストをあなたの個人的な救い主として、心にお迎えいたしましょう。イエスは、あなたのすべての罪を赦し、あなたに定められている死からいのちへとあなたを移し、永遠のいのちを与えてくださいました。それが確かであることを示すため、イエスは死んで4日もたち、どう考えても望みのないラザロをよみがえらされたのです。コリント人への手紙第一15章55節に「死よ。お前の勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」と書かれている通りです。
望み得ない時に望みを抱いて信じる、これが信仰です。そして、この神への信仰は決して失望に終わることがありません。死に打ち勝ったイエス・キリストを信じ、死に打ち勝つ勝利を得ましょう。
すべて病は神の栄光が現されるためのものです。あなたも必ず神の栄光を見ます。
MIKOE NEWSから転載」 2025年6月11日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/
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