2024年11月28日木曜日

300人の戦争

 戦争といえば、千人・万人の人々の戦いを思い浮かべるのが通常でしょう。ところが、神は驚くような勝利をわずか300人でもたらせたという実話があります。

 イスラエルが主に聞き従わなかったゆえ、主は7年の間ミデヤン人やアマレクがイスラエルを荒らして戦陣を敷いたので、イスラエルは国力が落ち、イスラエルの民は、主に叫び求めました。

 そこで、士師(さばきつかさ)として起こされたのは、ヨアシュの子ギデオンです。彼は、ミデヤン人から逃れて、酒(さか)ぶねの中で小麦を打っていました。私たちと同様、ミデヤン人を恐れていたからです。そこに主の使いが現れて「勇士よ。主があなたといっしょにおられる」と言いました。ギデオンは、「ああ。主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか」(士師記6章、7章参照)

 主は次のように言ってくださいました。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか」。ギデオンの分団はマナセのうちでもっとも弱く、しかも私ギデオンはその中でも一番若いのです。それでも主はギデオンにねんごろに語ってくださいました。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう」

 ギデオンは、神が彼を用いてなされようとしていることに一つ一つ祈りの確認を取り、いよいよ戦いが始まろうとしてきました。彼といっしょにいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷きました。しかし、そこで、主は驚くようなことを語られました。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」

 そこで、民に聞こえるよう「恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい」と言うと2万2千人が帰っていき、1万人が残りました。敵であるミデヤン人の軍隊は13万5千人です。1万人で勝つ戦いではありません。

 ところが、主は「民は、まだ多すぎる」と語られたのです。「彼らを連れて水のところに下って行け。そこで試そう。私が『この者はあなたといっしょに行かなければならない』というなら、その者は行かなければならない。『いっしょに行ってはならない』と言う者はだれも、行ってはならない。そこで、犬がなめるように舌で水をなめる者、ひざをついて飲む者も別にせよ、と主は語り「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す」と約束されました。

 300人対13万5千人の戦いです。1人につき450倍の戦いです。これを勝利に導くなんて、全能なる生ける神以外にはありません。ギデオンは300人を三つに分け、全員に角笛とからつぼを持たせ、つぼの中にたいまつを入れさせました。そして、夜番の交替時、彼らは角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き「主の剣、ギデオンの剣だ。」と叫び持ち場に着いたので、ミデヤン人はみな大声をあげて逃げました。その間、主は陣営の全面にわたって同士討ちが起こるようにされ、圧倒的な主の勝利を見たのです。そしてそれは、すべて神に聞き従うことから来たのです。

 能力? 要りません。体力? 普通で大丈夫。お金? 戦闘中では役に立ちません。優れた頭脳、それは神のために用いましょう。神がともにおられるなら、300人が13万5千人を打ち破るので、あなたの問題も同様に、神による希望と解決があります。

MIKOE NEWSから転載」 2024年11月28日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年11月22日金曜日

 祈りの人

 これは有名な話なので、皆さんも既にご存じかと思います。ある所に、2人の仲の良い男児がいました。1人は裕福な家の子で、もう1人は貧しい家の子でした。2人は仲良しで、幼い頃から教会に通い、イエスさまを深く愛し、成人する頃には主に献身したいという思いが、この2人の内に育っていました。

 裕福な家庭に育った青年は、神学校に行くことになりました。しかし、貧しい青年にはその経済がありません。そこで、彼は、裕福な青年のそばにいて、いつも君のために祈ると約束し、それを自分の献身としたのです。事実、青年が説教などの奉仕に立つ時、目立たない所でいつも祈りをささげている彼がいました。

 やがて青年は、押しも押されもせぬ名説教者になります。神さまの素晴らしいみわざが現され、その働きは豊かに祝福されました。多くの人々が青年を通して救われていきました。

 こうして長年にわたって多くの神のわざが青年を通してなされました。ところが、そうこうする中で、祈りをもって青年に仕えた彼がまさかの急逝。彼は召天しました。そしてそこから次第に青年のご奉仕の様子が変わってきました。なぜか以前のような力が失せてしまい、特別な聖霊のお働きも、ご臨在も、薄くなってきたかのようでした。

 悩んだ末、ようやく青年は、幼なじみの彼の祈りが自分の奉仕の働きを支えていたことに気づいたのです。自分を通して主のわざが起こると、人は、無意識の内に自分を称賛する者です。俺はやっぱり優れているのだ、大説教者なのだ、と。誰かが祈ってくださっているからこの祝福があるのだ、という視点を持つ人はまれです。それゆえ、主は青年の親友である彼を取り、これによって青年に真実を教えたのです。自分には誇れるようなものは何一つないと知った青年は、高ぶりから離れました。そして再び講壇に立つことができたのです。

 さて、キリスト・イエスの忠実な祈り手という献身者は今日でもこの社会にいます。自分の報いを求めず、ひたすら神のご栄光が現されるよう日々祈っています。祈りは隠れた所での奉仕なので目立ちません。表に出ることはほとんどありませんが、それでも彼らは十分満足なのです。祈り手の報いは主であり主を知ることであるので、彼らは喜んで祈りの手を上げ、日夜主に仕えています。

 マタイの福音書6章には、次のような一節があります。「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(6節)

 あなたの父とは、神ご自身のことです。神もまた、隠れた所におられるのであって、奥まった部屋で祈るあなたとの1対1の祈りを通して、あなたの声を聞き、応えてくださいます。何というご愛でしょうか。主は私たちを信頼し、寄り添ってくださっているのです。「祈りの人」の報いは主だというのも納得されるでしょう。

 献身にはいろいろな形があります。「説教者」「預言者」「祈り手」…など、それぞれ一人一人がなす働きは異なります。そして、一つ一つのパート(部分)がイエス・キリストを頭(かしら)として、互いに組み合わされるようにして、教会は一つのみからだとなるのです。神は一人一人に召しを与え、隠れた所でその召しの全うをご覧になっておられるのです。

 人の目に見えようが、見えまいが、主はあなたの奉仕を知っておられます。そして、必ずその奉仕に報いてくださいます。この真実なる主に期待して、それぞれの働きにまい進しましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年11月22日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年11月13日水曜日

風が変わり始めている

 1990年、1歳の娘とともに家族3人で、個人的にイスラエルを訪ねる機会がありました。この旅は、私たちにとって非常に重要なものでした。黙示録4章から「ここに上れ。この後、必ず起こることをあなたに示そう」(1節)ということばが与えられていて、この後必ず起こることって何であるのか、私は思い巡らしていました。

 その中で、示しと導きによって、イスラエルのホロコースト記念館に行きました。ちょうど、なだらかな山の頂きにそれは建ち、そこでは幾つかブースが設置されており、ユダヤ人がたどって来た迫害の歴史の歩みが写真などとともに時代ごとに展示されています。

 さっそく一番目のブースに足を踏み入れたところ、何とそこで私を迎えたのは、大きく引き伸ばされたヒトラーの肖像写真であったのです。衝撃が走り、一瞬のうちにこれを見、悟りました。「あなたの時代に再びヒトラーのような人物・反キリストが出る」こと。そしてこれは「この後必ず起こることなのだ」と。反キリストが出るのはまだまだ先だと思っていた私は、この示しに驚き、恐れました。

 ユダヤ人に対するホロコーストはどこから始まったのかというと、ヒトラーの台頭からであると、既に学術的に分析されています。黙示録において神が語られた「この後必ず起こること」とは、ヒトラーをひな形とする反キリストの台頭であり、彼の指示による迫害です。その時代は遠くなく、あなたが生きているこの時代にそれは起こる、神はそう語られました。ですから、その日を境に私の霊の焦点は、患難時代に向きました。反キリストは誰であるのか、心密かに探していますし、迫害に耐え、信仰を全うできるよう祈っています。

 また、世には世の終わりを計る世界終末時計というものがあります。2023年1月24日に発表されたところでは、現在は世の終わりまで残り90秒であるそうです。2022年から比べると10秒短くなっています。戦争やコロナの問題が重く見られた結果だと言います。いずれにせよ世の終わりが近いことは、今や周知の事実です。

 また、ロシアが一方的にウクライナに宣戦布告して以降、戦争が始まり既にイスラエルとハマスは血みどろの戦いを繰り広げ、ひいてはアラブ諸国とイスラエルとの戦いに発展するのではないかと、世界を巻き込むほどの勢いで、戦争が拡大しようとしています。

 しかし、終わりはすぐには来ません。聖書によると、やがて中東の包括かつ恒久的な和平を結ぶ政治家が出ることが書かれています。この人物こそ反キリストです。彼はヒトラーのように、最初は民衆から絶大な支持を受けます。しかし、やがて本性を現し聖徒たちを迫害し、ついにはエルサレムの神殿に神の座を設けて、そこに座し自分こそ神であると宣言します。そして、彼の政治を助けるのが偽キリストです。

 聖書の預言書によると、中東包括和平が結ばれてから、最初の3年半の患難時代と、その後の3年半の大患難時代を経て合計7年の、最後の時代(1週)があります。その7年が満ちる日にイエス・キリストはオリーブ山に再臨されます。主は来臨の輝きと御口の息をもって、反キリストや偽キリスト、サタン・悪霊を滅ぼされます。また、今のこの天地は火によって焼き尽くされ、無くなってしまいます。しかし、天から新しいエルサレムが下り、いわゆる千年王国の時代と新天新地を迎えます。御座に着いておられる方は「見よ。わたしは、すべてを新しくする」(黙示録21章5節)とも「事は成就した」(6節)とも語られています。すべて黙示録に書かれている通りに事は実現するでしょう。

 先日、アメリカの次期大統領として、トランプ氏が選出されました。外交、特に中東包括和平への取り組みが期待されています。今、彼は圧倒的な支持を集めています。後のことは分かりません。それゆえ、目を覚まして世の終わりに備えましょう。ここに来て、風は大きく変わり始めています。主の来られるのが近いことを知り、あなたも主イエスの救いを信じましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年11月13日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/



2024年11月6日水曜日

しつこさ

 私の妹は、誰に似たのかとてもしつこいところがあります。世には「一念岩をも通す」という語がありますが、妹は一念を抱くと、岩を通すまでしつこく粘るタイプです。決して簡単には諦めません。

 目下のところ、彼女の一念は母の心臓病のいやしにあります。母の体調が優れないとすぐに電話がかかってきて、母のために祈ってちょうだいと催促します。ところがこれがまた、こちらが辟易(へきえき)とするほどしつこいのです。私も私なりに祈っていますから、あたかも祈ってないかのように催促されると、さすがに良い気は致しません。

 ところが、妹はそんなことお構いなしに、なおもしつこく食い下がってくるのです。「頼むよ。絶対祈ってね。完全にいやされるようにだよ。お願いよ」等々。気持ちは分かりますが、押しつけがましいところが正直ウザく感じることもあります。しかも、身内である私に求めるならともかく、既に私の知らない所で、いろいろな方々に連絡しては「母がいやされるようお祈りください」とお願いしているようなのです。それを知って、驚き呆れました。

 妹にしてみれば、なりふり構わず、ともかくいやされてほしいという一念で助けを求めたのでしょう。彼女の素は粘り強く、しつこいのです。でも、そのしつこい願いを嫌がることなく聞き届け、善意をもって実際祈ってくださった兄弟姉妹には心から感謝致します。祈りによって、母は多くの病をいやしていただきました。

 しつこさということにおいては、ルカの福音書11章に興味深い記述があります(5~9節参照)。ある人が、真夜中に友だちのところに行きパンを三つ貸してくれと頼みます。旅の途中、友人が来たのに出してやるものがないのだというのがその理由です。友だちは、「めんどうをかけないでくれ。戸締りをして寝ているので、起きて何かをやることはできない」と断ります。それに対してイエスさまはこう言いました。「あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう」。しつこく求めることは友情に頼るよりも勝るのです。しつこく求めて粘るなら、忍耐の末に必ず約束のものを手にします。

 他にも、スロ・フェニキヤの女と呼ばれる人物が、イエスさまの称賛を買いました(マルコの福音書7章25~30節参照)。ギリシャ人である彼女には、汚れた霊につかれた小さい娘がいました。女は自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスさまに願い続けました。しかし、イエスさまはつれなく「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです」と言いました。ユダヤ人を後に回して、異邦人にわざを行うことはしないよ、ということです。

 しかし、お母さんはそのことばにひるむことなくこう言いました。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の子犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます」イエスさまは、「そうまで言うのですか」と驚嘆され「それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました」と言われ、その通りになりました。

 しつこいことは大概、人には嫌われます。しかし、神においてはそうではありません。神はしつこく求めることに信仰を見てくださり、その信仰に報われるのです。それゆえ忍耐を働かせ、しつこくまた粘り強く神に祈り、神の解決を求めていきましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年11月6日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/