2023年7月15日土曜日

粘り強くあること

 聖書は、私たちに信仰を教え、あらゆるところで信仰を用いることを奨励しています。そして、信仰による大きなわざは、粘り強く祈ることによって起こるとイエスは語りました。

 ルカの福音書11章で、イエスさまは興味深いお話をされました。ある人が真夜中に友達の所を訪ねました。なんでも旅人である友人が、自分の所に訪ねてきたにもかかわらず、出すものがないというのです。それで、君、パンを三つ貸してくれないか、と友人に所望したのです。それに対して友人は「めんどうをかけないでくれ。もう戸締りもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない」と言います。友人とはいえ寝ているところを起て何かをするという労を取ることはしませんでした。

 しかし、イエスさまはこう言いました。「あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう」(58節)

 その通りです。「一念岩をも通す」という言葉があります。あくまで頼み続けるなら、ついには相手も根負けします。皆さんはそこまで祈ったことがありますか。それを私たちは「祈り切る」と言います。祈り切ってしまうなら、祈った通りのものを受けるのはもう確定しているのです。マルコの福音書に「祈って求める者は何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」(1124節)と書かれている通りです。人間関係においてはしつこさは嫌われます。しかし神の前ではそうではありません。これによって後には神の栄光を見るようになります。

 イエスさまはしつこさが何かよく知っておられて、それを祈りに運用することを奨励されたのです。しつこく、あくまでしつこく祈り求めるなら、願いの扉は聞かれるという祈りの原則を教えてくださっているのです。しつこさは、決して諦めません。願い通りになるまで手を緩めません。求めたものを現実に手にするまでチャレンジし続けます。これには脱帽します。約束のものを手に入れるには、しつこさは強力な力であるのです。しつこさも立派な信仰のあるべき姿なのです。

 それが表れているのがヤコブです。ヤコブは兄エサウをだまして長子の祝福を受けました。逃げるようにして母の郷里に身を寄せ、そこで妻子を得、財産を得て、いよいよエサウのいるカナンの地に帰ることになりました。エサウを恐れるヤコブは、夜中密かに家族財産といっしょにヤボクの渡しを渡りました。そして、一人だけ後に残りました。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した、そう書かれています。(創世記32章参照)

 ある人というのは、受肉前のキリストとも言われています。ヤコブはその人と戦いました。それは激しいものであって、その人はヤコブに勝てないのを見てとってヤコブのもものつがいを打ったので、ヤコブのもものつがいが外れました。するとその人は、「わたしを去らせよ。夜が明けるから」と言いました。ヤコブは、「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」とさらに粘りました。

 その人は言いました。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ」と言い、その場で彼を祝福しました。

 ヤコブは一晩中、神と格闘し、勝ちました。去らせよと言うまで格闘をし続けました。このようにあくまで粘り強く求めるなら、神もまた私たちの祈りに答えてくださいます。 

MIKOE NEWSから転載」 2023年7月15日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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