2020年11月10日火曜日

心の貧しい者

 先日、友人から「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイの福音書53節)というのは、どういう意味なの?というメールが来ました。

 実は私も、この「心の貧しい者」ということばの意味が何であるのか、よく分かりませんでした。この箇所の聖書解釈は、昔から諸説紛々あるところで、最初私は、心の貧しい者とは道徳的に問題がある人のことだと考えていました。でも天の御国はその人のものだというのだから、これでは意味が通りません。そこで、牧師に聞いたところ、これは反語であって、心の貧しい人とは、「心の豊かさに飢え渇いている者」と読み解くといいと教えてくれました。それ故「心の貧しい」ということばは、「心の豊かさに飢え渇いている」と読まれるのが妥当だと思います。

 また、ここで言う「心の豊かな人」というのは、世の楽しみやさまざまなことで既に心がいっぱいで、これ以上何かが入る余地がない心の状態の人を言います。神抜きで既に心が満ち足りているならば、そこにキリストの祝福やことばがあっても、それが心に入っていく余地はほとんどありません。

 それに引き換え、「心の貧しい者」とは、ありのままの私たちの姿です。心の豊かさに飢え渇き、痛みを覚え悩みを抱え、心には隙間風が吹いています。満ち足りるなんてとんでもない。自分には何かが足りないのだと思っており、その思いがキリスト・イエスに向かわせるきっかけになっています。心の貧しさの故に多くを神に求めざるを得ませんが、神は恵みをもって働き、キリストの愛や慰めは、私たちのひび割れた心に深く浸透しています。

 こういう訳で、心の貧しい者は幸いです。天の御国は、豊かさに飢え渇く方々を知っており、彼らを受けてくださる居場所です。

 それ故、どうか御国にあずかる者として、あなたもまたイエス・キリストを信じてください。イエス・キリストは、私たちの罪を贖うために、約2000年前に世に来られ、十字架で私たちの罪を担って死なれ、また3日目によみがえり、私たち人間を贖ってくださいました。キリストを信じる者は、無条件で罪の赦しと永遠のいのちが与えられています。キリストにあって、今や私たちは神の子です。

 神は、あなたを愛しておられます。また私たちの弱さも知っておられます。神は、私たちの避け所です。また力です。この方の元に帰りましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2020年11月10日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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