2020年8月12日水曜日

「イエスが愛された者たち~サマリヤの女篇」

 イスラエルは、12部族を擁する民族です。ところが、ソロモンの子ヤロブアムの代に、北王国10部族と南ユダ2部族に分れてしまいます。そして、紀元前721年、北王国イスラエルの首都であるサマリヤはアッシリヤに占領され、多くの住民が捕囚となり引いて行かれました。その後、新しくサマリヤに移住してきた他民族がいて、その人たちとの間に雑婚が起こり、混血民族となり民族の血統が失われてゆきました。それに対してユダヤ人は人種的純粋性を守り通しました。それゆえユダヤ人はサマリヤ人を蔑視し、両者の間には根深い対立と反目がありました。 

 ユダヤからガリラヤへ行く時はサマリヤを通るのが近道です。けれども多くのユダヤ人は、それを避け、あえてヨルダン渓谷の厳しい道を通って行きました。しかしイエスさまは「サマリヤを通っていかなければならなかった」と聖書が記しているように、まっすぐに顔をサマリヤへ向けておられました。深いお考えがあったのでしょう。 

 昼の12時頃、イエスさまはスカルというサマリヤの町に着き、井戸のかたわらで旅の疲れをいやしておられました。すると、1人のサマリヤ人の女が水をくみに来ました。イエスさまがこの女に、水を飲ませてくださいと所望すると、女は驚き、「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか」と言いました。ユダヤ人は雑婚のサマリヤ人を軽蔑しつきあいをしなかったからです。 

 イエスさまは、女にこのようなことを言います。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」女は、「その水を私に下さい」といいました。 

 すると、イエスさまは、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言います。女は「私には夫はありません」と言いました。「もっともです。あなたには夫が5人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです」イエスさまはこうおっしゃいました。 

 5人の夫を持ちまた別れ、今は内縁の夫と暮らしている女の素性をイエスさまは言い当てました。驚きのあまり女は、水がめを置いて町に急ぎ、民に言いました。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言ったひとがいるのです。この方がキリストなのでしょうか」。 

 こうして、彼女を通して大勢のサマリヤ人がイエスに出会い、イエスが世の救い主・キリストだと信じるに至りました。 

 女は、罪深い女でした。人がいない炎天下を選んで水くみをしているのは彼女に社会的な負い目があるからです。それがイエスに会うと一変し、自ら苦手な民の所に行き、イエスを紹介しました。主イエスはこの女に届くためにあえてサマリヤに来られたのです。イエスさまは裁きません。この女を愛し憐れんで、永遠のいのちへの水を与えたいと思われたのです。そして女だけではなく、ユダヤ人にさげすまれている雑婚のサマリヤもまた、愛し救おうとされたのです。 

 人は罪人です。しかし聖書には「罪に惑わされてかたくならないようにしなさい」(へブル人への手紙3章13節)という一節があります。イエスさまが来られたのは、裁くためではなく、赦し救うためです。罪人を愛された主、イエスはこう呼ばれることを良しとされました。多く赦される者は多く愛する者となるからです。

 MIKOE NEWSから転載」 2020年8月12日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/ 

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