2019年10月2日水曜日

アブラハムの信仰

 へブル人の手紙11章6節には「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」と書かれています。アブラハムは、まさにこの信仰を持つ人物でした。
 ローマ人への手紙418節には「彼は望み得ないときに望みを抱いて信じました」という1節があります。これは直接にはアブラハムのことを語った言葉です。アブラハムはおよそ10
0歳になって、妻のサラの胎が死んだも同然であるのにもかかわらず、神が約束された男の子、イサクを受けると信じました。望み得ないときに信じたのです。そして約束通り、イサクが誕生しました。
 その後、アブラハムは試練に入ります。神が約束の子イサクを全焼のいけにえとしてささげるよう語られたのです。アブラハムへのすべての約束は、イサクに継承されるものであったので、イサクが死んだら約束は成り立ちなくなります。しかし、これを聞くとアブラハムは直ちにイサクを伴い、示された場所であるモリヤの地の山へ向かいました。そこで祭壇を築き、たきぎを並べ、イサクを縛りその上に置きました。そして、刀を取って今まさに屠(ほふ)ろうとしたその時でした。
 「あなたの手を、その子に下してはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子さえ惜しまないでわたしにささげた」主の使いが天から彼を呼びました。
 アブラハムは、神には人を死者の中からよみがえらせることができる、と考えたのです。それで彼は死者の中からイサクを取り戻しました。私たちもまた、信仰によるなら同じことが起こります。アブラハムの信仰にならいましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年10月6日号(第1062号)より転載—

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