2019年12月11日水曜日

神の戦い

 近現代における戦争は、武器によって勝敗が決まります。聖書の時代では剣やよろいはあったものの武器に差はなく、基本的には人数の勝負です。千名と万名の戦いでは万名が勝利するのです。
 にもかかわらず、士師記におけるギデオンは、ミデアン人・アマレク人との戦いの際、神さまによって兵士の人数を300名にまで減らされました。自分の手で自分を救ったと誇るといけないから(7章2節)だというのがその理由で、主はこの300名を用い敵陣で同士打ちが起こるよう仕向けられ、イスラエルは勝利しました。
 また、サムエル記第一17章には、イスラエルとぺリシテ人との戦いが記されています。すなわち少年ダビデとゴリアテとの戦いです。
 ゴリアテは大男の職業戦士で、日々イスラエルの陣営をなぶり、人々を恐れさせていました。ただ、ダビデだけは「この割礼を受けていないぺリシテ人は何者ですか。生ける神の陣をなぶるとは」(26節)と語り、ゴリアテとの戦いに挑みます。
 ダビデは言いました。「おまえは、剣と、槍(やり)と、投げ槍(やり)を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。(中略)この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される」(4547節)
 こうしてダビデは、石投げ器と一つの石でゴリアテに向かい、彼の額を打ち、その一打で彼を打ち殺してしまいました。神がそれをなされたのです。
 ギデオンとダビデに共通することは、彼らが戦ったのは神の戦いであったということです。現実的にはとても勝ち目のない戦いが、生ける神に聞き従うことによって大勝利を得たのです。私たちが直面する戦いもまた神の戦いです。堅く信仰に立ち、神の救いを待ち望みましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2019年12月15日号(第1072号)より転載—

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