2019年2月20日水曜日

期待する心
 
 クリスチャンライフの中で最も重要なものは信仰です。ところが私は、信仰と聞くたびに苦手意識が頭をもたげます。敵の攻撃なのでしょうが、私は不信仰だから何も起こらないだろうと、信仰の不足を責められているように感じていました。
 信仰とは何でしょう。確かにいろいろな意見があるとは思いますが、私は「期待する心」だと思います。例えば聖書には「求めなさい。そうすれば与えられます」(マタイの福音書7章7節)という約束があります。この一文を読んで、そうだ、と期待する心を持って近づくなら、そこに信仰が働き、神さまの手が動きます。神さまは、約束を果たされるお方ですから、その約束は必ず実現します。
 しかし信じていない人はどうでしょう。それらの人々は、初めから期待などしていません。ですから祈りもしません。結果、何の神のわざも見ないのです。不信仰は、期待しない心の成れの果てです。
 願うこと、求めることは、信仰によります。信じていない者がどうして祈ることができましょう。神は答えてくださると信じたその信仰だけが、神の約束を確かなものにするのです。願うこと、求めることは、信仰によります。それ故、私たちは期待する心をもって神に近づきましょう。信じるなら、私たちは等しく神の御手(みて)が動くさまを見ていきます。
 こういう訳で、期待するということはとても重要なことです。そこには信仰が伴うからです。信仰と行いは密接な関わりがあります。結局、人の一生は、何を信じるかによって決まります。ヨハネの福音書2027節には、「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と書かれています。これはイエスさまが弟子トマスに語ったことばです。神のことばを信じ、期待し、信仰の実を結びましょう。(イスラエル北野)

み声新聞2019年2月24日号(第1030号)より転載—

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