2017年9月22日金曜日

ささげたもの、受けたもの

 今は昔。かれこれ30年になります。杉並区に城堀荘という、女子学生の寮といった一軒家がありそこに私たちは住んでいました。神さまをまっすぐに求道し、特別な祝福の中で、キリストの弟子となる訓練がなされていました。
 ルカの福音書14章には、「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません」(26節)という一文があります。憎むという表現は嫌うとかではなくて、「第一にはしない」といった意味です。キリストの弟子として、最も大切なものをささげる訓練と、学びがなされました。
 私たちは4名でした。その中のひとりはHさんです。彼女は彼女の全てであるカーペンターズをささげました。また、大学で専攻していた哲学から、生ける神の神学である、イエスさまに聞き従う道を選びました。今はブラジルの宣教師として立てられ、ブラジルに居住しています。
 Mさんもまた音楽をささげました。神さまはその事を覚えてくださっていて、今はTrueVine(トゥルー・バイン)として、広く活躍するゴスペルシンガーになり、多くの祝福にあずかっています。
 Aさんと私は、ともに牧師夫人として神さまに仕えるようになり、私は文学をささげました。しかし、その報いとして再び書く働きに戻され、こうして原稿用紙に向かい合っています。
 私たちが神にささげたものは幾倍にもなって、また、さらに良いものになって帰ってきます。私たちの牧師は、それを「ブーメラン」と呼んでいます。待たされ、探られますが、神は時をご存じです。
 神さまに信頼して、全てをささげて従っていきましょう。神さまは、あなたがささげた」もの以上の祝福をもって豊かに報いてくださいます。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年9月24日号(第955号)より転載—

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