2017年6月7日水曜日

種蒔きのたとえ
 最近、悩んでいる事があります。物忘れがひどいのです。特に大事な事を忘れてしまいます。年齢から来るのと思っていましたが、必ずしもそうではないようです。霊的な側面も考慮していく必要があるようです。
 救われて半年ばかりたったころ、日曜日の礼拝で牧師が、興味深い事を語りました。サタンは神のことばを取りに来るのだ、というのです。これだけを聞いているなら、極端な意見だと冷笑を買うばかりでしょう。
 しかし次に、牧師さんは「先週の私の説教は何を語ったか覚えていますか」と私たちに問い掛けられたのです。これを聞いて皆は、一様にあぜんとし、言われてみれば…と顔を見合わせました。きれいさっぱり忘れてしまっているのです。
 ルカの福音書では、8章に「種まきのたとえ」と呼ばれる箇所があります。5節にはこのように書かれています。「種を蒔(ま)く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると、人に踏みつけられ、空の鳥がそれを食べてしまった」
 この一文の解き明かしは12節です。「道ばたに落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたが、あとから悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、その人たちの心から、みことばを持ち去ってしまうのです」
 前週の礼拝説教を覚えていないのは老化のせいではなく、悪魔が神のことばを持ち去ってしまうからなのです。こういう訳で、物忘れは老化もありますが、それ以上にサタンが介在しているのも多くあります。
 ですから祈りが必要です。敵は神のことばを奪い、私たちを祝福から引き離そうとしているからです。祈りをもって、正しい心で神のことばに聞きましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年6月4日号(第939号)より転載—

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