2017年1月29日日曜日

愛を学ぶ所
教会はどういう所でしょう。素朴にそう思う人は多いでしょう。私の意見では、教会は「愛を学ぶ」
所です。そしてそれは「神を学ぶ」所につながっていきます。
世には多くの形の愛があり、神々とよばれる神もたくさんあります。その中から、ただ一つの真実、
あるいは本物の愛と出会うために、人の人生はあるのではないかと思います。
カルバリ山の十字架で、私は愛を知りました。約2000年前にイエス・キリストは世に来られ、
ご自分が預言者たちによって語られていた約束の救い主であることを証しし、お弟子たちを教え
育てながら、時至ってカルバリで十字架にかかって死なれました。
イエスさまは、神の御子であるにもかかわらず、その在り方を捨て、私たちと同じように肉を持ち、
肉において私たちの罪を担い、しかも最も厳しい十字架によって死に、私たち人類のために贖いを
完成させてくださいました。イエスさまが約束の救い主であることのしるしは、イエスさまが自ら予告
していたように3日目に復活を遂げられたことにあります。
イエスさまを世に送られた父なる神は、全能者であられ、誰も近づくことのできない光の中に住んでおられ、光そのものです。また、その姿を直接見た者はいません。世にいう神々など足元にも及びません。
神は愛です。イエスさまは神さまなので、その愛もまた完全です。このお方と出会い、このお方を
知ることによって、私たちはまことの愛を知り、愛を学んでいくのです。私たち人の愛は不完全ですが、イエスさまの愛は完全です。完全な愛を持つ方を通してでしか、本当の愛は学べません。
どうぞ、教会に行き、まことの愛と出会ってください。
(イスラエル北野)

み声新聞2017年1月22日号(第920号)より転載—

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