2015年11月19日木曜日

サクリファイズ
 幼少のころから霊の世界に触れていた私は、思春期になると妄想上の人物を友とし、また母とする妄想の世界に耽溺しました。特殊な体験ですが、かえってそれがキリストを知るという特権にあずかることとなったのは主の恵みです。なぜなら、イエスさまが私に何をなしてくださったのか、身をもって体験したからです。主は「捕われ人に解放を、囚人には釈放を」(イザヤ書61章1節)告げてくださいました。
 霊の世界は契約の世界です。妄想上の人と私は契約の下にありました。神に捨てられた者同士、決して互いを裏切らないと誓い合っていたのです。
 しかし、私は主の恵みによって救いにあずかりました。すると妄想の人は昔の契約を持ち出し、私に命を求めてきました。
 考えすぎだ、友人は皆そう言いました。しかし、たった1人、牧師さんだけが、事の深刻さを理解してくださいました。
 牧師さんは興味深い話をしてくださいました。霊の世界はギブ・アンド・テークで、霊から益を受けたなら見返りは求められる。その代価が命なら、死ななければならない。だから自殺を思うのはもっともだ。しかしね、それはね、北野さんの命でなくてもいいんだよ。敵(サタン)は命でありさえすれば、誰の命でもいいんだ。イエス・キリストはそのために十字架で死んでくださいました!
 この瞬間、私は全てがふに落ちたのです。イエスさまは救い主です。私の死ぬべき負債をご自身のからだによって贖ってくださいました。その尊き犠牲により、古い契約は無効になり、神の救いは完成しました。
 私は、神の子として新しい契約を結びました。そして完全な解放を受け、今に至ります。 (イスラエル北野)

み声新聞2015年11月15日号(第858号)より転載—

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