2015年9月12日土曜日

愛の化学反応
 今は天に帰られたA牧師は、自分は化学畑の人間だとよく語っておられました。また、A牧師はおちゃめなところがおありで時々秘密の話をしてくださいました。教会には、いろんな人が来ます。ある人はフラスコ、かの人はビーカー、別の人は試験管であって、おのおの何がしかのものが入ってるけれども、そこにイエスさまの愛が注がれると、化学反応のように変化が起こり、まったく別なものに変えられてしまうんだ、と教えてくださいました。ビーカー、フラスコ、とは、人の体型を指して分類されているようで、私は三角フラスコでした。
 小学生の頃、一年の目標を書いて提出する宿題がありました。よい目標を立てられても、実行するとなると長続きしません。この辺りから挫折というものを知るようになり、人はそうそう変わるものでない、これが私の人生哲学となりました。
 ところが、先ほどのA牧師の話のように、イエスさまを信じると化学変化を起こすのです。変わるはずのない者が、180度別人に変わるのです。
 ある時、某国の宣教師となったSさんから話を聞きました。Sさんはどうしようもない学校のどうしようもない連中の最たるものだったと言います。しかし、三浦綾子さんの『塩狩峠』を読んだことによって彼の人生は一変しました。キリストに人生をささげ、英語、現地語、を学びきり、目的を持った彼はもはや過去の彼ではなくなりました。
 このように、キリストとの出会いは人を変え人を動かすのです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(コリント人への手紙第二5章17節) (イスラエル北野)

み声新聞2015年9月13日号(第849号)より転載—

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