2015年6月13日土曜日

カナの婚礼
 イエスはその公生涯の始めに母マリヤや弟子たちとともにガリラヤのカナの婚礼に出席しました。ところが、ぶどう酒が途中で足りなくなり
ました。マリヤはそのことをイエスに告げ、またイエスが言われることは何でもするよう、手伝いの者に言い送りました。
 そこには、六つの石の水がめが置いてありました。イエスは、「水がめに水を満たしなさい」と言いました。そうしたところ、イエスは言いまし
た。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい」(ヨハネの福音書2章7、8節)。世話役は、ぶどう酒になった
その水を味わって、良いぶどう酒だと言い花婿を褒めました。奇跡が起こったのです。イエスは、このことを最初のしるしとされ、ご自身の
栄光を現されました。
 神さまは、問題を栄光に変えられるお方です。問題は、問題で終わるものではなく、神のご栄光が現されるためのものです。神は試練
とともに脱出の道を備えられます。行き詰まった時にこそ奇跡の手を見るのです。
 マナを思い出してください。出エジプトの民を荒野で養った神のパンです。彼らが約束の地に入り、その地の産物を食べるその日まで、
それは続きました。
 また現代では、ガソリンがないにもかかわらず、走り続けた車もありました。インドネシアでは聖餐式のためのぶどう酒を求めて、水がぶど
う酒になりました。
 奇跡は起こるのです。信仰を持つなら救われます。これら神による奇跡は数え切れないほどたくさん起こってきました。信仰によって神
のご介入を信じるか、もしくはかたくなな心のままいるかは私たちの側の選びによります。問題の受け損にならないよう、神に期待しましょ
う。 (イスラエル北野)

み声新聞2015年6月14日号(第836号)より転載—

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