2015年2月11日水曜日

喪中の家
 ソロモン作とされる伝道者の書に次のような記述があります。
 「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人
の終わりがあり、生きている者がそれを心に留めるようになるから だ」(7章
2節)
 すべての人の終わり、それは死です。これを変えることはできません。にもか
かわらず、人は、日常生活の中に紛れてそのことを忘れています。生き ている
うちにしておかなければならないことがあるのに、そのことさえ忘れてしまうの
です。こういう訳でソロモンは、喪中の家に行くことを勧めるの です。
 私は、社会で高い地位を得、世にあって成功した多くの先輩方を知っていま
す。しかし、その方々も死の前には無力でした。時は待ってくれません。 最期
には力もうせ、泣いて涙のうちに旅立って行かれました。
 生きている内に必ずしておかなければならない事、それは死に対する備えで
す。そしてそれは、イエス・キリストを信じる、救われることです。
 44歳の時、私は今まさに死にゆくという体験をしました。その時、長年悩んで
きた人と人との軋轢などは、取るに足らない小さな問題でした。自分 は神にお
会いする用意があるかどうかが、最大の関心事でした。私はまだ何もしていな
い、まだ死ねない…、その叫びが通じたのか私は現実に戻されま した。
 私たちは、はかない存在です。神さまはそのことをご存じです。ですからイエ
スさまを下さいました。イエスさまは、あなたの代わりに十字架で死な れ3日
目によみがえられました。イエスさまは私たちに永遠の命をくださいます。イエ
スさまは私たちの主です。主イエスとともに生きましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2015年2月15日号(第819号)より転載—

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