2015年1月10日土曜日

信仰義認
 もし皆さんが、世界中の人々をすべて救うというプロジェクトを任されたらど
うしますか。もし、救いの方法をお金の有無におくなら、お金の無い貧 しい者
は救われませんし、試験にするのなら、頭の良い人を救えても知恵の欠けた者を
取り残してしまいます。すべての人を等しく救うことは何と難し いことでしょう。
 ならば条件なくすべての人を救えば良い、と思うでしょうが、私たちは皆、神
さまの前では罪人です。そのため、私たちは罪の贖いが必要であり、救 われる
方法が問題なのです。
 このことをご存じの神さまは、「信仰」という方法を私たちに与えてください
ました。信じることによるなら、だれもが等しく救われるのです。
 そして、これが神の知恵だと神は言います。コリント人への手紙第一には、こ
のように書かれています。「事実、この世が自分の知恵によって神を知 ること
がないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって宣教のこ
とばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです」   宣教のこ
とばの愚かさとは何でしょう。それは福音を信じるということです。私たちの父
なる神さまは、私たちを愛し、ご自身のひとり子イエスさ まをくださいまし
た。御子イエスさまは罪なきお方ですが、私たちの罪を贖うために、罪人ととも
に十字架で死なれました。そして、3日目によみがえ りを果たされました。そ
のことは、みな私を罪から救うためであったと信じるなら「救われる」のです。
これを、信仰義認と言います。
 どのような宗教もこれに並ぶことはありません。どのような救いもこれ以外
にはありません。十字架の福音を信じましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2015年1月11日号(第814号)より転載—

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