2014年8月6日水曜日

低い心
 ルカの福音書18章にあるお話です。
 ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは
収税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。 「神
よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことに
この収税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食 し、自分の
受けるものはみな、その十分の一をささげております」
 なかなか立派なものです。このような人こそ神さまに認められるものだ、と私
たちは思います。しかし、イエスさまはパリサイ人を退け、収税人をお 心にか
なうものとされました。
 収税人は、遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、一言こう祈りまし
た。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」イエスさまは「こ の人
が、義と認められて家に帰りました、パリサイ人ではありません。誰でも自分を
高くするものは低くされ、自分を低くする者は高くされるからで す」そう、語
られました。
 パリサイ人も、主に対して熱心ではありましたが、それは自分を人よりも正し
いとするためでした。人の前で自分を正しいとする者は、神さまから退 けられ
ます。神さまの前では、人は皆罪人だからです。ですから、神さまは、自分を罪
人と認め、憐れみを請う低い心を持つ者を正しいとされました。
 神さまが正しいとするのは、へりくだった低い心です。それ故「へりくだる者
に恵みをお授けになる」(ヤコブ4章6節)と書かれています。
 水は必ず低いところに向かって流れて行きます。それは決して上へと流れるこ
とはありません。同様に神さまの祝福もまた、低い心のうちに届くので す。
  (イスラエル北野)

み声新聞2014年8月10日号(第792号)より転載—

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