2014年4月7日月曜日


誇りと高ぶり
 私には7歳になるめいがいます。頭がよくてきれいで、伯母として先行きを楽
しみに思うのですが、弟はその子をしっかりと育てています。
 ある時、弟は彼女に言いました。「K、おまえは、確かに頭がよくてきれいか
も知れんが、世の中には、お前のような者は五万といることをわかって いるん
か」将来高ぶることのないようと、今から戒めているようです。
 高ぶりは、自分に酔い、自分は特別だと思い、誇ってやまないものです。とて
もいただけたものではありません。
 ガラテヤ人の手紙6章には「おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そう
すれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対 して誇
れることではないでしょう」(4節) と書かれていますが本当にその通りで
す。誇ってみても、それはただ自分だけの誇りです。何の役にも立ちません。そ
ればかりか、神さまのご栄光を盗む罪の芽 にさえなりかねません。
 神さまはへりくだった人を選ばれます。へりくだるということは自分に死んで
いるということです。へりくだっていないと、神さまのある声は聞くこ とがで
きません。働きの根底に、自分を喜ばせたい、誇りたい、という思いを持ちなが
ら、なおかつ神さまに仕え、栄光を神さまにお返しするというこ とはできない
のです。
 神さまに謙遜を祈り求めましょう。神さまもまた、忍耐を持ってこれを助けて
くださいます。ヤコブの手紙にはこう書かれています。「神は、高ぶる 者を退
け、へりくだる者に恵みをお授けになる」(4章6節)人はその誇りとするもの
によって人生が変わります。へりくだり、神さまの豊かな恵みを 受けて歩んで
いきましょう。
(イスラエル北野)

 
み声新聞2014年4月13日号(第775号)より転載—

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