2012年8月21日火曜日

死は死ではない

 人が、死ぬことを恐ろしく思うのは、その先を知らないからです。ですから、聖書、特にコリント人への手紙第一15章にある希望をお分かちしま しょう。私たちは主イエス・キリストによって、死んでもよみがえりを果たすのです。
 ある時、ある人が見た夢での話です。あくまでも「夢」なのですが、大変興味深かったので、真実かどうかは別にして、少しお話ししたいと思いま す。
 ある夜、その人は夢を見ました。そこは黄泉のような所で、彼女は、鍾乳洞のような岩陰に伏せっていました。そこから立ち上がろうとしましたが、 たちまちからだ全体が、砂のようにさーっと流れ落ち、瞬く間に地のちりに帰ってしまったそうです。主の前に行こうとしましたが、からだがないので 立てません。からだを下さいと懇願したところで、目が覚めたそうです。
 聖書では、人はちりから出てちりに帰ることを語っています。肉のからだが朽ち、無くなっても、私たちは無ではありません。
 私たちは、地上のからだだけではなく、神が下さる御霊のからだがあるというのが聖書の記すところです。このように書かれています。「死者の復活 もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ」(42節)、
「血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらさ れるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです」(44節)
 私たちは血肉のもので、血肉の死を迎えますが、イエス・キリストを主と迎えるなら、血肉のからだは朽ちない永遠に向かってまかれ、イエスさまが下さる御霊のからだを受けます。
 イエスを信じ、復活の希望にあずかってください。これは真実な話です。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年8月26日号(第690号)より転載—



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