2012年5月22日火曜日

 先週、母の日に子どもたちから予期せぬプレゼントをもらいました。うれしかったです。というのも、前々日にちょっとした言い合いがあって、子育 てに足りない自分を責めていた矢先のことだったので、目に見える形であらためて愛を示してくれた娘たちに感謝し、また、愛を学びました。
 愛とは奥深いもので、私のペンではとてもそれを語ることができません。それで、聖書のヨハネの手紙第一4章をお読みになることをお勧めします。
 そこには、このように書かれています。「愛のない者に、神はわかりません。
なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方に よって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、 私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(8―10節)
 キリストを知る以前、私は愛も神も語るに苦手でした。愛といっても、それが分からなかったのです。しかし、分からない私を神さまは忍耐をもって 接し、愛で囲み、福音によって救ってくださいました。
 前述の「ひとり子」とはイエスさまのことです。神さまは御子イエスさまが、十字架で死なれることを良しとされました。それは、私たちがもはや罪 にとらわれることなく、神の前に永遠に生きるためでした。
 神さまは、全ての人を愛しておられます。イエスさまの十字架の死は自分のためであったと受け入れ、信じる時、この神さまの愛が分かり始めます。
 あなたもイエスさまを信じ、この素晴らしい愛の中に身を置いてください。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年5月27日号(第677号)より転載—



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