従ってなお窮地に陥る時
多くの人がよく、問題が起こってきた時、それを神とサタンの戦いというふうに捉え、そのように口にします。けれどもこれは、大きな間違いです。そもそも神とサタンを同列に挙げているところからして、間違っています。神は絶対者であり、サタンは堕天使で、神による被造物です。サタンは神の許しなくしては何もできません。例えば、サタンはヨブ記のヨブを打ちました。しかし、それも神が許す範囲の中でのことで、サタンがヨブの命を取ることは許されていませんでした。
サタンは、神の計画を阻止しようとありとあらゆる手段を用いて働きます。パウロもテサロニケ人への手紙第一2章18節でこのように書いています。「それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。このパウロは一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが私たちを妨げました」。サタンは神のみこころを妨げるのです。サタンの攻撃が強い時ほど、神の素晴らしいみわざが現されるというのは理にかなったことなのです。
私たちの教会では海外宣教を行っています。ところが、ある時チームリーダーが、パスポートやチケットの入ったバッグを電車の中に置き忘れてしまい、宣教に行けない事態になりました。失意のどん底に陥ったことでしょう。しかし、感謝の祈りがささげられ、翌日一日遅れで目的地に着くことができました。
そして着いた後、車に乗り込むと、今度はそこで突然聖霊が「今、リコンファームに行きなさい」と語られたそうです。そこでそう告げると案内する人は「まず、ホテルに行ってからにしましょう」と言い、取り合ってくれなかったそうです。しかし聖霊が語るので、半ばけんかになることを覚悟して、強くリコンファームに向かうよう押したのです。
そして、リコンファームをする場所に着くと、なんとその時、まさにそのタイミングで後に大きな関係となる人物と出会ったのです。まさにこれがみこころ中のみこころでした。私は、リーダーがバッグを失くしてしまったことは、行くべき所に行かせまい、会うべき人と会わせまい、とするサタンの妨害であったと思いますし、リコンファームの件も真に主に従うということにおける試しであったと思っています。重要な事柄が開ける際には必ずサタンはそれを妨害するよう働きます。
ところで、話は変わりますが、イエスさまはその公生涯の初めにバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられました。すると、天が開け、神の御霊が鳩のようにご自分に下ってくるのをご覧になられました。その直後、マタイの福音書4節1節にこう書かれています。「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた」
ここで注目していただきたいことは、御霊に導かれて荒野に行かれたということです。サタンは荒野でイエスを誘惑し、後に現されるイエスの救いの働きをさせまいと策略を持ってイエスを試しました。これはサタンが仕掛けたわなではありますが、御霊に導かれたというだけのことがあり、かえって主イエスが救い主としてふさわしい方であることを証明する結果になりました。
私たちにおいても、サタンの働きが許されます。特に大きな恵み働きの前には必ず妨害が許されます。多くの人はそれを見、恐れます。でも、それを許しているのは神であって、主の御霊の主導の中で起こっているということを忘れてはなりません。
私たちには、神に聞き従って、なお窮地に陥るということが許されます。しかしそれは、しるしと奇跡を伴った神の素晴らしいご栄光と勝利の現れのためであり、神の許しなくしては、サタンは何ひとつ災いを起こすことができないのです。そして、そこには深くて高い神の計画があります。イザヤ書にはこう書かれています。
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。-主の御告げ- 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ書55章8節)
今、この時にも主は働いておられます。それゆえ、何も恐れることなく神を信頼し、またすべての事を感謝いたしましょう。主はすべてを益と変え、初めから用意されていたご自身のご計画を必ず成し遂げられるからです。恐れるべきお方は神おひとりです。サタンではありません。それゆえ感謝をもって主の勝利をほめたたえましょう。
MIKOE NEWSから転載」 2024年4月24日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/
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