2018年9月5日水曜日

ボーンアゲイン

 学生の頃、主の恵みを頂き、私はボーンアゲイン・クリスチャンになりました。
 「ボーンアゲイン」という言葉は、最近でこそあまり聞きませんが、当時は頻繁に用いられており、新生体験とも呼ばれます。古い自分は死に、主イエスによって新しく生まれたというのがその意味で、神を知り、神に知られる者となりました。
 それは本当に「新しく生まれた」というにふさわしい体験で、今まで見ていたものは何だと思うほど世界が生き生きと目に映り、心の内には大きな喜びがありました。
 コリント人への手紙第二5章には「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです」(1718節)と書かれていますが、まさにこのみことばが実現しました。
 神の前にきよくありたい、主に喜んでいただきたい、と早くも心は聖霊に満たされて、改心が導かれます。
 そういえば、私たちが敬愛するマーリン師は、『獄中からの賛美』の中で、不正で得た為替を処分したくて、ちぎってはトイレに流し、その度に大きな喜びに満たされたことを書いておられます。
 また、ある方は電車でキセルを行っていた罪が示され、改心に導かれ、キリストが与えてくださる喜びの故に駅の事務室に行き、キセルで不正使用したお金を置いてきたといいます。
 聖霊さまを心にお迎えすると、私たちは世の者から神の国の住人へと移されているのです。罪を犯すことができません。
 神はあなたを愛しておられます。それ故、今日を救いの日としてあなたに手を差し伸べておられます。この手を握り返し、神の国の住人として、あなたも新しく生まれましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2018年9月9日号(第1006号)より転載—

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