2018年8月8日水曜日

福 音

 聖書は、私たち人間は、みな生まれながらの罪人(つみびと)だと語っています。その心にあっても行いにおいても、神から遠く離れており、罪過の中に死んだものでした。しかし、神はそんな私たちに心をとめてくださり、私たちが滅びることをよしとされませんでした。
 ヨハネの福音書3章16節に、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」と書かれています。
 神のひとり子とは誰でしょう。それは、イエスさまです。では、御子イエスさまをお与えになったとはどういうことなのでしょうか。
 神は、愛なる方であるとともに聖なる方であり、贖(あがな)いがなされていない、ありのままの私たちはとても近づくことができません。それ故、神は、ご自分のひとり子であるイエスさまを、救い主として世にお与えになりました。
 イエスさまは神でしたが、私たちと同じ肉を持ち、その十字架の死と復活によって、私たちを罪から贖い、神と和解させてくださいました。私たちを救うにあたって、イエスキリストは命さえも投げ出し、ここに贖いが完成しました。
 イザヤ書1章18節には、「たとい、あなたがたの罪が緋(ひ)のように赤くても、雪のように白くなる」と書かれています。
 イエスさまが十字架で流された血潮には力があります。それ故、福音を信じる時、神は私たちを十字架の血潮を通して見てくださいます。そして神はあたかも1度も罪を犯したことのない者が受けるような祝福を下さるのです。
 こういう訳で、あなたもまた、イエスキリストを信じ、神に立ち返りましょう。神は、永遠のいのちと祝福をもってあなたを愛しておられます。
(イスラエル北野)

み声新聞2018年8月12日号(第1002号)より転載—

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