2016年10月11日火曜日

いやし
 今までに無かったことが、最近立て続けに起こっています。
 それは、いやしのみわざです。先日新しく聖会に来られたご婦人がイエスさまを救い主と信じたところ、救いばかりか長年の足の痛みまでがうそのように消えてしまいました。その後ご自宅を訪問したところ、ご主人もすんなりと福音を信じました。そして長年病んだ手の痛みがいやされるに至っては、皆びっくり。大きな喜びが私たちの内に湧き起こりました。
 さらに、犬の散歩で教会の横に来ていた近所のお姉さんは、足を痛めていました。お許しを得て足を祈ると、神さまが豊かに働いてくださいました。「本当だ。本当に治ったわ!」と驚きの声を上げながら帰って行かれました。マルコの福音書16章に、「病人に手を置けば病人はいやされます」(18節)と書かれています。それを信じその通り手を置いたにすぎません。しかし踏み出してみるといやしが起こりました。聖書のことばは真実です。
 さて、キリスト教のいやしの原点は、イエス・キリストにあります。イザヤ書53章5節に、「彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」と書かれています。彼とは、イエスさまです。
  イエスさまは、死に定められた私たちを救い贖うため、時至って世に来られました。そして、病や死に苦しむ私たちの、身代わりとなって十字架で死なれました。そのみ苦しみこそがいやしの基盤だと書いてあるのです。神さまのお心は、私たちが救われ、またですこやかでいることにあります。ですから私たちは求めるに熱心でありましょう。出エジプト記1526節で神はこう語っておられます。「わたしは主、あなたをいやすものである」。(イスラエル北野)

み声新聞2016年10月9日号(第905号)より転載—

0 件のコメント:

コメントを投稿