2015年8月20日木曜日

がんから生還
 私の父は、肝臓がんで55歳という若さで天に召されました。それから二十余年、今度は母ががんになりました。そして母だけではなく、時を同じくして教会の何名かの方々に一斉にがんが許されました。
 もっとも困難な状況にある、と思われた方に至っては、お医者さんに、「第二の人生を考えてください、残念です」と宣告されました。医師がさじを投げたがんですが、祈りの手が上がる中で治療が功を奏し、がんは予想以上に縮小し、ついに手術で全てのがんを取り切ることができました。こうして彼女は末期がんから生還を果たしました。奇跡が起こったのです。彼女だけではなく、私の母を含めた全員がいやされ、なお、いやされ続けています。
 この背後には、教会によるとりなしの祈りがありました。ルカによる福音書には「神にとって不可能なことは一つもありません」(1章17節)と書かれています。神にはどんなことでもおできになるのだという信仰は確かなものであり、現状がどうであれ、私たちには主がその希望です。
 イエスさまは、宣教において多くの病人をいやされました。中には「失望するのがいやだから期待しない」という人もいるかもしれません。しかし、主はあなたにも等しく恵みを備えておられるのです。主は誰をも拒絶することはなく、むしろ、あわれんでくださいます。ローマ人の手紙4章18節に「望み得ないときに望みを抱いて信じました」と書かれています。この手のひらほどの信仰が勝利を生むのです。
 かつて、イエスさまがなさったことを、今は教会がそれを受け継いでいます。教会はキリストが満ちています。重荷を下ろして安きを得ましょう。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2015年8月16日号(第845号)より転載—

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