2014年3月21日金曜日


信仰と忍耐
 神さまは時を支配しておられますが、特徴として遅れ気味になるようです。
 私たちは、リバイバルについて「もし遅くなってもそれを待て。それは必ず来
る。遅れることはない」(ハバクク書2章3節)という約束を頂いてい ます
が、それからもう30年にもなりました。
 また、イエスさまはラザロを死人の中からよみがえらせましたが、それは死ん
でから4日もたってからのことです。望み得ない状況をあえて選んで、 主はこ
の奇跡をあらわされたのです。
 ぺテロの手紙第二3章には「主のみ前では、一日は千年のようであり、千年は
一日のようです。主は、ある人たちが遅いと思っているように、その約 束のこ
とを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたに対して忍耐深くあ
られるのです」と書かれています。千年が一日とは、神さまは何 とスケールの
大きいお方でしょう。
 私ごとになりますが、3月1日で自動車の車検が切れました。車検を通す費用
で、程度のよい中古車が買えるとアドバイスを受け、与えられるよう ずっと
祈っていました。ところが、待てど暮らせど必要が満たされません。ついに、3
月1日がやってきましたが何も起こりません。鉛を飲み込んだよ うな重さが胸
にのしかかってきました。
 スタートはここからでした。なお、主に望みをおいて祈り、条件の合う中古車
を一つ見つけました。時を同じくして必要が満たされ契約しました。
 信仰が試されると忍耐が生じます。また、すべてにおいて神の「時」があるの
です。私たちの時間では「もはやこれまで」でも神さまの時間では、ま だこれ
からです。信頼して粘り強く求めてゆきましょう。
(イスラエル北野)

 み声新聞2014年3月23日号(第772号)より転載—

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