2013年11月16日土曜日



 かつて、病院に入院していた時の話ですが、一人の看護師さんが、なかば泣き
ながら私の手を取り、「ごめんね。北野さんは心がきれいなのに私は… ごめん
ね」と絶句しました。何があったか知りませんが、私も、心は決してきれいでは
ありません。ねたみや高ぶり、不信仰、また人を裁く思いを抱き やすい一人の
罪人です。そして、そこから聖められることを熱心に求めている身です。
 心は何よりも大切なもので人の価値を決めるものだと思います。神さまは私た
ちの心の値打ちをはかられるお方です。第一サムエル記16章におい て、神さま
はサムエルに、サウルに代わる王をエッサイの子に見いだしたから油を注ぎに行
きなさいと語られました。長男エリアブを見た時、確かに王 たるにふさわしい
とサムエルは思いましたが、主は「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わた
しは彼を退けている。(中略)人はうわべを見るが、 主は心を見る」と語られ
ました。神の心にかなう王は、兄たちではなく、末っ子のダビデであったのです。
 第二歴代誌16章にはこのように書かれています。「主はその御目をもって、あ
まねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に 御力をあ
らわしてくださるのです」(8節)というものです。
 主の目にかなう器を主は探しておられます。神の心をわが心とし、神の思いを
わが思いとするもの者を神は選ばれます。
 主の心と一つとなる時、神さまは大いなる奇跡、栄光を現されます。それは私
たちにとって最高の喜びです。それゆえ聖霊さまに助けられ神の心をわ が心と
し、神の思いをわが思いとし、熱心に主を求めて参りましょう。
(イスラエル北野)

 
み声新聞2013年11月17日号(第754号)より転載—

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