2013年10月16日水曜日


和解
 エリは天幕に仕える祭司でした。彼には2人の息子がいましたが、祭司の規定
を守らず、しかも神殿娼婦と寝ている堕落した者でした。
 その行状に対してエリは、「子たちよ。そういうことをしてはいけない。(中
略)人がもし、ほかの人に対して罪を犯すと、神がその仲裁をしてくだ さる。
だが、人が主に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立とう
か」(サムエル記第一2章25節)と言いました。エリの2人の息子 の罪は神に
対するものでした。裁きが下され2人はペリシテ人との戦争の中で死に渡されて
しまいました。
 私たちは、誰一人として例外なく罪を犯すものです。私たちには原罪があり、
生まれながらの罪人です。罪人と罪人が出会うのですから、問題が生じ ます。
しかし、憐れみのゆえに神は双方に働き仲裁をしてくださいます。互いに赦し合
うという教えは、聖書の中で最も重要な教えの一つです。
 祭司エリは、人が主に対して罪を犯したら、だれが、その者のために仲裁に立
とうか、と言いました。しかしこの言葉は、くしくも約1000年の後 の、イ
エス・キリストによって実現します。
 イエスさまは、定められた時にこの世に来られ、私たち全ての罪を負って十字
架で死んでくださいました。また、復活の力をもって死に打ち勝ち、救 いを確
かなものとされました。罪の中に死に、滅びに至る私たちを神は憐れみ、み子イ
エスさまをくださったのです。
 十字架は和解のしるしです。あなたが神さまのもとに帰ることができるよう神
さまは一切のことをしてくださいました。私たちはただ十字架の救いを 信じる
だけでよいのです。信じるなら、私たちは神の子です。神の和解を受け入れま
しょう。  (イスラエル北野)

 
み声新聞2013年10月20日号(第750号)より転載—

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