2012年6月18日月曜日

貧しい者は幸いです

 神は、ヨシュア記の中で、イスラエルが受け継ぐ領土として、「あなたがたの領土は、この荒野とあのレバノンから、大河ユーフラテス、ヘテ人の全 土および日の入るほうの大海に至るまでである」(1章4節)と語られました。それは硬貨にも刻まれており、私たちはそれを大イスラエルと呼んでい ます。
 ダビデやソロモンの時代、イスラエルは最も栄えましたが、それでも統治した領土は、この大イスラエルには至りませんでした。
 ヨシュアが死ぬと、イスラエルの民は、神さまが言われた領土を獲得しようとはせず、むしろ、占領するより、異邦の民と共存共栄の道を探りまし た。
 イスラエルの民が、神さまの命令に従わず、このような道に進んだ原因の一つに、私は「豊かさ」があったのではないかと思っています。
 イスラエルは、長く放浪の民として荒野で生活していましたが、カナンの地に入り、そこでの豊かな産物によって生活は一変していきます。
 「もうこれで十分豊かだ、だからこれ以上苦労したくないし、する必要もない」。このような思いが民の中に生じたのではないかと思うのです。
 マタイの福音書5章でイエスさまは「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(3節)と語られました。心が満ち足りて豊か になると、人はそれ以上、神を求めることをしなくなります。
 そういった意味で、心の貧しい人は幸いなのです。その人は常に神を尋ね求め、神さまの助けと栄光を見ることができるからです。
 豊かさは恵みです。しかし、神さまを尋ね求め、その御声に聞き従う道にこそ、本当の豊かさがあるのです。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年6月24日号(第681号)より転載—



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