2025年4月2日水曜日

不妊の女に起こったこと

 アブラムの妻のサライは不妊の女でした。救い主の誕生を待望するイスラエルの女性にとって、不妊ということはいかに苦しく、また悲しいものか、ご存じでしょうか。ハンナは、主の宮で泣いてこのことを主に訴えました。ラケルは、「私に子どもを下さい。でなければ私は死んでしまいます。」と夫ヤコブに詰め寄りました。また、恐れ多いかもしれませんが、皇后雅子さまが愛子さまを授かるまで、どれほどのお苦しみをなさっていたか、私たちはメディアを通して知っています。

 子どもを授かることは、子孫を得ることであるので、女にとっても光栄なことでしょう。命の恵みにあずかることは、神が下さる恵みであり、人ができるものではないのです。ですから不妊の問題というのは、ひときわ強い悲しみがあり、人知れぬ心の痛みがあるのでしょう。

 サライの不妊もまたアブラム家にとって、影を落とす問題であったでしょう。それで、アブラムがカナンの土地に住んでから十年後に、サライは自分の女奴隷であるハガルを連れて来て、ハガルによって子を得ようとします。ところが、ハガルは身ごもると、自分の女主人を見下げるようになりました。サライの気持ちはなおかきむしられます。それでサライは彼女をいじめたので、ハガルは逃げました。ハガルがその子イシュマエルを生んだのは、アブラハムが86歳の時でした。

 アブラハムが99歳になった時、主はアブラハムに現れ、あなたと、あなたの後の子孫との間に永遠の契約を立てると語られ、契約のしるしとして割礼が導入されました。そしてこの時、彼らの名が変わるのです。アブラムはアブラハムに、サライはサラにその名を神が変えました。

 そして主は、こう言われたのです。「わたしは彼女(サラ)を祝福しよう。確かに、彼女によって、あなたにひとりの男の子を与えよう。」アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか」。そして、「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえますように」と言いました。

 神は、「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼とわたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする」と語られ、離れて上られました。(創世記17章)

 創世記18章。主は再びアブラハムに現れました。主は「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻ってきます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」と言われました。サラはそれを天幕の入口で聞いていました。サラには普通の女にあることがすでに止まっていました。それでサラは心の中で笑って言いました。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」

 そこで、主がアブラハムに仰せられました。「サラはなぜ笑うのか。主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」。サラは、恐ろしさにかられて「私は笑いませんでした。」と打ち消しましたが、主は「いや、確かにあなたは笑った。」と仰せられました。

 そして、創世記21章。神がアブラハムに言われたその時期に、サラは年老いたアブラハムに男の子を産みました。イサクの誕生です。アブラハムは8日目に彼に割礼を施しました。その時アブラハムは100歳でした。イサクは、アブラハムの契約を受け継ぐ子として約束通り産まれたのです。

 これらの話から、私が皆さんに分かち合いたいことがあります。一つは、命は神のもとにあるものであるということです。人の領域ではないということを分かち合いたいです。子どもをつくる、ということを言う人がいますが、命は授かるものだと思います。科学的な方法で受胎を求めたとしても、授けてくださるのは神なのです。

 そしてまた、子というのは、必ず神さまの召し、計画があるということです。イサクも、アブラハムへの契約の中に自分の誕生がありました。それゆえ、神さまとの契約の成就の時が来るまで、その誕生が待たされることもまたあると私は思います。

 三つ目は、神には不可能はないということです。神が語られたことばなら、人間的には笑うような不可能なものであっても信じることを選びましょう。アブラハムもサラも、約束をすぐには信じることはできませんでした。人間的には不可能なことは分かりきっているからです。それでも、神の時が来た時、神のことばはその通りに実現しました。

 ルカの福音書でも大祭司ゼカリヤは、不妊の妻エリサベツとの間に後のバプテスマのヨハネを授かるという、御使いガブリエルが告げたことばを信じることができず、そのことばの成就の時までものが言えなくなりました。しかし、時が来ると約束通りヨハネが誕生しました。

 ハンナもリベカも、神は覚えてくださって、後に子を産みました。そこからサムエルが出、また、ヨセフが出てきたのです。彼らは聖書の中での重要人物です。悲しみは神の前に蓄えられ、やがて時満ちると大逆転が起こったのです。神は全能者であり、またあわれみ深い方です。すべてに神の祝福の計画があるのです。私たちはそれを知りませんが、神を信頼していきましょう。神はあなたの人生に最善をなされます。 

MIKOE NEWSから転載」 2025年4月2日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

0 件のコメント:

コメントを投稿