2024年11月28日木曜日

300人の戦争

 戦争といえば、千人・万人の人々の戦いを思い浮かべるのが通常でしょう。ところが、神は驚くような勝利をわずか300人でもたらせたという実話があります。

 イスラエルが主に聞き従わなかったゆえ、主は7年の間ミデヤン人やアマレクがイスラエルを荒らして戦陣を敷いたので、イスラエルは国力が落ち、イスラエルの民は、主に叫び求めました。

 そこで、士師(さばきつかさ)として起こされたのは、ヨアシュの子ギデオンです。彼は、ミデヤン人から逃れて、酒(さか)ぶねの中で小麦を打っていました。私たちと同様、ミデヤン人を恐れていたからです。そこに主の使いが現れて「勇士よ。主があなたといっしょにおられる」と言いました。ギデオンは、「ああ。主よ。もし主が私たちといっしょにおられるなら、なぜこれらのことがみな、私たちに起こったのでしょうか。私たちの先祖たちが、『主は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、私たちに話したあの驚くべきみわざはみな、どこにありますか」(士師記6章、7章参照)

 主は次のように言ってくださいました。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか」。ギデオンの分団はマナセのうちでもっとも弱く、しかも私ギデオンはその中でも一番若いのです。それでも主はギデオンにねんごろに語ってくださいました。「わたしはあなたといっしょにいる。だからあなたはひとりを打ち殺すようにミデヤン人を打ち殺そう」

 ギデオンは、神が彼を用いてなされようとしていることに一つ一つ祈りの確認を取り、いよいよ戦いが始まろうとしてきました。彼といっしょにいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷きました。しかし、そこで、主は驚くようなことを語られました。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」

 そこで、民に聞こえるよう「恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい」と言うと2万2千人が帰っていき、1万人が残りました。敵であるミデヤン人の軍隊は13万5千人です。1万人で勝つ戦いではありません。

 ところが、主は「民は、まだ多すぎる」と語られたのです。「彼らを連れて水のところに下って行け。そこで試そう。私が『この者はあなたといっしょに行かなければならない』というなら、その者は行かなければならない。『いっしょに行ってはならない』と言う者はだれも、行ってはならない。そこで、犬がなめるように舌で水をなめる者、ひざをついて飲む者も別にせよ、と主は語り「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す」と約束されました。

 300人対13万5千人の戦いです。1人につき450倍の戦いです。これを勝利に導くなんて、全能なる生ける神以外にはありません。ギデオンは300人を三つに分け、全員に角笛とからつぼを持たせ、つぼの中にたいまつを入れさせました。そして、夜番の交替時、彼らは角笛を吹き鳴らして、つぼを打ち砕き「主の剣、ギデオンの剣だ。」と叫び持ち場に着いたので、ミデヤン人はみな大声をあげて逃げました。その間、主は陣営の全面にわたって同士討ちが起こるようにされ、圧倒的な主の勝利を見たのです。そしてそれは、すべて神に聞き従うことから来たのです。

 能力? 要りません。体力? 普通で大丈夫。お金? 戦闘中では役に立ちません。優れた頭脳、それは神のために用いましょう。神がともにおられるなら、300人が13万5千人を打ち破るので、あなたの問題も同様に、神による希望と解決があります。

MIKOE NEWSから転載」 2024年11月28日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年11月22日金曜日

 祈りの人

 これは有名な話なので、皆さんも既にご存じかと思います。ある所に、2人の仲の良い男児がいました。1人は裕福な家の子で、もう1人は貧しい家の子でした。2人は仲良しで、幼い頃から教会に通い、イエスさまを深く愛し、成人する頃には主に献身したいという思いが、この2人の内に育っていました。

 裕福な家庭に育った青年は、神学校に行くことになりました。しかし、貧しい青年にはその経済がありません。そこで、彼は、裕福な青年のそばにいて、いつも君のために祈ると約束し、それを自分の献身としたのです。事実、青年が説教などの奉仕に立つ時、目立たない所でいつも祈りをささげている彼がいました。

 やがて青年は、押しも押されもせぬ名説教者になります。神さまの素晴らしいみわざが現され、その働きは豊かに祝福されました。多くの人々が青年を通して救われていきました。

 こうして長年にわたって多くの神のわざが青年を通してなされました。ところが、そうこうする中で、祈りをもって青年に仕えた彼がまさかの急逝。彼は召天しました。そしてそこから次第に青年のご奉仕の様子が変わってきました。なぜか以前のような力が失せてしまい、特別な聖霊のお働きも、ご臨在も、薄くなってきたかのようでした。

 悩んだ末、ようやく青年は、幼なじみの彼の祈りが自分の奉仕の働きを支えていたことに気づいたのです。自分を通して主のわざが起こると、人は、無意識の内に自分を称賛する者です。俺はやっぱり優れているのだ、大説教者なのだ、と。誰かが祈ってくださっているからこの祝福があるのだ、という視点を持つ人はまれです。それゆえ、主は青年の親友である彼を取り、これによって青年に真実を教えたのです。自分には誇れるようなものは何一つないと知った青年は、高ぶりから離れました。そして再び講壇に立つことができたのです。

 さて、キリスト・イエスの忠実な祈り手という献身者は今日でもこの社会にいます。自分の報いを求めず、ひたすら神のご栄光が現されるよう日々祈っています。祈りは隠れた所での奉仕なので目立ちません。表に出ることはほとんどありませんが、それでも彼らは十分満足なのです。祈り手の報いは主であり主を知ることであるので、彼らは喜んで祈りの手を上げ、日夜主に仕えています。

 マタイの福音書6章には、次のような一節があります。「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」(6節)

 あなたの父とは、神ご自身のことです。神もまた、隠れた所におられるのであって、奥まった部屋で祈るあなたとの1対1の祈りを通して、あなたの声を聞き、応えてくださいます。何というご愛でしょうか。主は私たちを信頼し、寄り添ってくださっているのです。「祈りの人」の報いは主だというのも納得されるでしょう。

 献身にはいろいろな形があります。「説教者」「預言者」「祈り手」…など、それぞれ一人一人がなす働きは異なります。そして、一つ一つのパート(部分)がイエス・キリストを頭(かしら)として、互いに組み合わされるようにして、教会は一つのみからだとなるのです。神は一人一人に召しを与え、隠れた所でその召しの全うをご覧になっておられるのです。

 人の目に見えようが、見えまいが、主はあなたの奉仕を知っておられます。そして、必ずその奉仕に報いてくださいます。この真実なる主に期待して、それぞれの働きにまい進しましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年11月22日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年11月13日水曜日

風が変わり始めている

 1990年、1歳の娘とともに家族3人で、個人的にイスラエルを訪ねる機会がありました。この旅は、私たちにとって非常に重要なものでした。黙示録4章から「ここに上れ。この後、必ず起こることをあなたに示そう」(1節)ということばが与えられていて、この後必ず起こることって何であるのか、私は思い巡らしていました。

 その中で、示しと導きによって、イスラエルのホロコースト記念館に行きました。ちょうど、なだらかな山の頂きにそれは建ち、そこでは幾つかブースが設置されており、ユダヤ人がたどって来た迫害の歴史の歩みが写真などとともに時代ごとに展示されています。

 さっそく一番目のブースに足を踏み入れたところ、何とそこで私を迎えたのは、大きく引き伸ばされたヒトラーの肖像写真であったのです。衝撃が走り、一瞬のうちにこれを見、悟りました。「あなたの時代に再びヒトラーのような人物・反キリストが出る」こと。そしてこれは「この後必ず起こることなのだ」と。反キリストが出るのはまだまだ先だと思っていた私は、この示しに驚き、恐れました。

 ユダヤ人に対するホロコーストはどこから始まったのかというと、ヒトラーの台頭からであると、既に学術的に分析されています。黙示録において神が語られた「この後必ず起こること」とは、ヒトラーをひな形とする反キリストの台頭であり、彼の指示による迫害です。その時代は遠くなく、あなたが生きているこの時代にそれは起こる、神はそう語られました。ですから、その日を境に私の霊の焦点は、患難時代に向きました。反キリストは誰であるのか、心密かに探していますし、迫害に耐え、信仰を全うできるよう祈っています。

 また、世には世の終わりを計る世界終末時計というものがあります。2023年1月24日に発表されたところでは、現在は世の終わりまで残り90秒であるそうです。2022年から比べると10秒短くなっています。戦争やコロナの問題が重く見られた結果だと言います。いずれにせよ世の終わりが近いことは、今や周知の事実です。

 また、ロシアが一方的にウクライナに宣戦布告して以降、戦争が始まり既にイスラエルとハマスは血みどろの戦いを繰り広げ、ひいてはアラブ諸国とイスラエルとの戦いに発展するのではないかと、世界を巻き込むほどの勢いで、戦争が拡大しようとしています。

 しかし、終わりはすぐには来ません。聖書によると、やがて中東の包括かつ恒久的な和平を結ぶ政治家が出ることが書かれています。この人物こそ反キリストです。彼はヒトラーのように、最初は民衆から絶大な支持を受けます。しかし、やがて本性を現し聖徒たちを迫害し、ついにはエルサレムの神殿に神の座を設けて、そこに座し自分こそ神であると宣言します。そして、彼の政治を助けるのが偽キリストです。

 聖書の預言書によると、中東包括和平が結ばれてから、最初の3年半の患難時代と、その後の3年半の大患難時代を経て合計7年の、最後の時代(1週)があります。その7年が満ちる日にイエス・キリストはオリーブ山に再臨されます。主は来臨の輝きと御口の息をもって、反キリストや偽キリスト、サタン・悪霊を滅ぼされます。また、今のこの天地は火によって焼き尽くされ、無くなってしまいます。しかし、天から新しいエルサレムが下り、いわゆる千年王国の時代と新天新地を迎えます。御座に着いておられる方は「見よ。わたしは、すべてを新しくする」(黙示録21章5節)とも「事は成就した」(6節)とも語られています。すべて黙示録に書かれている通りに事は実現するでしょう。

 先日、アメリカの次期大統領として、トランプ氏が選出されました。外交、特に中東包括和平への取り組みが期待されています。今、彼は圧倒的な支持を集めています。後のことは分かりません。それゆえ、目を覚まして世の終わりに備えましょう。ここに来て、風は大きく変わり始めています。主の来られるのが近いことを知り、あなたも主イエスの救いを信じましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年11月13日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/



2024年11月6日水曜日

しつこさ

 私の妹は、誰に似たのかとてもしつこいところがあります。世には「一念岩をも通す」という語がありますが、妹は一念を抱くと、岩を通すまでしつこく粘るタイプです。決して簡単には諦めません。

 目下のところ、彼女の一念は母の心臓病のいやしにあります。母の体調が優れないとすぐに電話がかかってきて、母のために祈ってちょうだいと催促します。ところがこれがまた、こちらが辟易(へきえき)とするほどしつこいのです。私も私なりに祈っていますから、あたかも祈ってないかのように催促されると、さすがに良い気は致しません。

 ところが、妹はそんなことお構いなしに、なおもしつこく食い下がってくるのです。「頼むよ。絶対祈ってね。完全にいやされるようにだよ。お願いよ」等々。気持ちは分かりますが、押しつけがましいところが正直ウザく感じることもあります。しかも、身内である私に求めるならともかく、既に私の知らない所で、いろいろな方々に連絡しては「母がいやされるようお祈りください」とお願いしているようなのです。それを知って、驚き呆れました。

 妹にしてみれば、なりふり構わず、ともかくいやされてほしいという一念で助けを求めたのでしょう。彼女の素は粘り強く、しつこいのです。でも、そのしつこい願いを嫌がることなく聞き届け、善意をもって実際祈ってくださった兄弟姉妹には心から感謝致します。祈りによって、母は多くの病をいやしていただきました。

 しつこさということにおいては、ルカの福音書11章に興味深い記述があります(5~9節参照)。ある人が、真夜中に友だちのところに行きパンを三つ貸してくれと頼みます。旅の途中、友人が来たのに出してやるものがないのだというのがその理由です。友だちは、「めんどうをかけないでくれ。戸締りをして寝ているので、起きて何かをやることはできない」と断ります。それに対してイエスさまはこう言いました。「あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう」。しつこく求めることは友情に頼るよりも勝るのです。しつこく求めて粘るなら、忍耐の末に必ず約束のものを手にします。

 他にも、スロ・フェニキヤの女と呼ばれる人物が、イエスさまの称賛を買いました(マルコの福音書7章25~30節参照)。ギリシャ人である彼女には、汚れた霊につかれた小さい娘がいました。女は自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスさまに願い続けました。しかし、イエスさまはつれなく「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです」と言いました。ユダヤ人を後に回して、異邦人にわざを行うことはしないよ、ということです。

 しかし、お母さんはそのことばにひるむことなくこう言いました。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の子犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます」イエスさまは、「そうまで言うのですか」と驚嘆され「それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました」と言われ、その通りになりました。

 しつこいことは大概、人には嫌われます。しかし、神においてはそうではありません。神はしつこく求めることに信仰を見てくださり、その信仰に報われるのです。それゆえ忍耐を働かせ、しつこくまた粘り強く神に祈り、神の解決を求めていきましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年11月6日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年10月30日水曜日

 認知症

 一昔前には「痴呆」と呼ばれていた老年期の衰えを、最近は「認知症」と呼び、国を挙げてその取り組みがなされるようになってきました。以前は還暦を迎えると、第一線から退き余生を楽しむご隠居さんになるのが常でした。けれども、今は60歳が仕事に新規採用されるという時代です。70歳を超えてなお第一線で仕事をしている人も珍しくありません。瀬戸内寂聴さんは99歳まで、日野原重明医師は105歳まで生き、最後まで現役で活躍されました。還暦を越えてさらに約40年の年月を壮健に生き、なおかつ仕事を続けられたのです。これは特筆すべき快挙であると思います。

 医学の進歩とともに、老年期は相当長いものになりました。そして、人生の幕引きをどうするかという、今までにはなかった課題が出てきています。昔と違い簡単には死ねない時代になったのです。

 私には、86歳になる母がいます。神に守られ長寿の恵みにあずかっており、衰えたとはいえ、まだかくしゃくとしています。けれども最近、何かの拍子に「あれっ?」と小さな物忘れをすることがあるようです。さすがに「認知症」ではないようですが、これから老いと向かい合うことが増えてくるだろうと思います。

 「認知症」は、回復が難しい進行してゆく病気です。Aさんは「認知症」の奥さんとともに生活されています。奥さんはご飯を食べ終わったばかりなのに、「そろそろ食事にしようか」と言うのだそうです。今したことを、もう忘れています。「まいっちゃうよ」とAさんは苦笑しておられました。今は、「認知症」を予防する薬はありますが、発症した「認知症」を治療する薬はありません。当人が何をするか分からないので片時も目が離せません。しかも、今の長寿社会では往々にして老老介護になるので、看る人の負担も決して小さくありません。

 「認知症」は人間の尊厳にかかわる病気だと思います。程度にもよりますが「認知症」になったら、脳の老化で、持っていた記憶をどんどん失っていきます。その人にとってどれほど大切な情報であっても、だんだんそれを理解することが困難になってきます。症状がひどくなると、自分自身に関しても、自分が何者なのかということさえも忘れてしまいます。それでも、天に召されるその時まで、忍耐を持って生き続けてゆかなければならないのです。誰に自分を任せばよいのか。また、自分のこともいつまで自分で覚えていられるのか。こんな不安とも戦っているのです。そしてついにはそのことも忘れてしまい、「恍惚(こうこつ)の人」になります。こういった病気です。ただ、どんな状態になってもイエスさまは私を守ってくださる、こう信じることがそれらの人の慰めとなり、心のよりどころとなり、ひいては治療ともなります。

 この中で求められるものは、神への信頼です。全能なるお方は、昨日も今日もいつまでも同じです。私たちのことを常に変わらず愛してくださっています。イザヤ書46章にはこんな記述があります。「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」(3、4節)

 神の愛は実に深いのです。神は決して私たちを捨てたりはしません。胎内にいる時からしらがになった今に至るまで、神はずっと私たちを背負ってきてくださいました。そして、これから先も救い出してくださると約束してくださっているのです。たとえ「認知症」を患う事態になったとしても、変わらぬ神は変わらぬ愛を注いでくださいます。恐れに変えて平安を下さり、お約束通りすべてを益にしてくださいます。時には苦しみがあるでしょうが、その中で私たちは神さまとその助けを今まで以上に見ていくでしょう。神さまから頂いた私たちの人生です。死に至るまで主を信頼し、地上での一時(いっとき)の生涯を全うしていきましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年10月30日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年10月23日水曜日

 試練を受けるコツ

 聖書の使徒の働き21章を読むたびに、手に汗を握る思いを致します。パウロのことですが、ユダヤ人に受け入れられるために、あなたが律法を守って正しく歩んでいることが分かるよう、ここにいる四人の誓願を立てている者たちと共に身を清め、彼らが頭をそる費用を出してやりなさい、という提案がなされました。

 パウロはこれを受け入れ、清めの期間を終え、その7日間がほとんど終わろうとしていた時のことです。アジヤから来たユダヤ人たちがパウロが宮にいるのを見て、全群衆をあおりたて、パウロに手をかけ叫びました。「この男は、この民と、律法と、この場所に逆らうことを、至る所ですべての人に教えている者です。そのうえ、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、この神聖な場所をけがしています」。これを聞くと町中が大騒ぎになり、人々は殺到してパウロを捕え、宮の外へ引きずり出し、ただちに宮の門が閉じられました。

 アジヤから来たユダヤ人は、エペソ人トロピモが町でパウロと一緒にいるのを見かけたので、てっきりパウロがこの異邦人を神聖な宮に入れたと誤解したのです。もうあとわずかで、すべてうまくいくというところで、よりによってこんな事件が起こったのです。皆さんにもこんな経験ありませんか。

 教会のある海外宣教チームで起きたことです。飛行機がトルコでトランジットのために着陸すると、そのタイミングで、クーデターが起こりました。大統領が「同志よ。空港に集まれ」と呼びかけたものですから、まさに飛行場はクーデターの舞台となってしまいました。あと少し時間がずれてさえいれば、何も問題なくトランジットを終え成田に飛び立ったか、あるいはトルコに着陸することなく安全な空港へと行先を変えたことでしょう。なのになぜこんな状況に置かれたのか? 私には分かりません。でも、神さまは、こういうことをあえてなされるのです。

 ある時A牧師は、K国の宣教のために空港に向かっていました。ところが途中で、パスポートや現金、チケットの入った鞄を電車に置き忘れてしまいました。つまり渡航できなくなったのです。すぐさま感謝をささげておられましたが、当人にとってはショックだったと思います。けれども、感謝をささげたあたりから、神の手が動き始めます。常識では見つからないはずの鞄が見つかり、しかもパスポートも現金も無事でした。飛行機のチケットも無料で翌日に変更してもらえ、結局1日遅れでK国に着きました。そして、試しがありました。神が「今リコンファームに行きなさい」と語られたのです。それでそう言うと、「まずホテルに行きましょう」と返され、ついにはけんかも辞さない勢いで「リコンファームに行ってください」と言い、押しました。そして、手続き先のホテルで、長い協力関係となるB牧師に出会うのです。それは、まさに神のタイミングでした。

 考えてみれば、起こった事すべてはこのB牧師と出会うことへのサタンの妨害と読むことができるでしょう。であればこれは圧倒的な勝利です。確かに、到着は1日遅れました。しかし、このチームにおける神のみこころはすべて果たし終えたのです。問題が起こった時には取り返しのつかない失敗のように見えました。けれども、脱出の道が用意されすべては益となったのです。

 このように、神さまはあえてあと少しというタイミングで、私たちを困難や試練に落とされることがあります。必ずしもその理由が理解できるとは限りません。それゆえ、試練を上手に受けるコツをお分かちしましょう。それは悪いと思われる出来事を徹底して感謝することです。試練や失敗は祝福の前触れだと信仰に立つことが一番の対処法です。気落ちしてはなりません。すべての道に「神の計画」があるのです。試練を正しく乗り越えれば次の段階が来ます。問題の中にこそ奇跡的な神の介入があるのです。神はそれらを用い、ご栄光を現してくださいます。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブの手紙1章2節)

MIKOE NEWSから転載」 2024年10月23日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2024年10月17日木曜日

『時』について思うこと

 幼い頃、浦島太郎のお話をよく聞かせてもらいました。ご存じの方も多いと思います。浦島太郎が砂浜で子どもたちに乱暴されていた亀を助けたところ、恩返しに亀に連れられ竜宮城に行きました。そこでは、乙姫さまがいて、盛大な祝宴が設けられました。それはもう楽しくてあっという間に3年の月日が過ぎました。ある日、両親のことを夢で見た太郎は家へ帰ることを決意します。別れ際、乙姫様は太郎に玉手箱を渡し言います。「決してこの箱を開けてはなりません。人間の一番大事な宝が入っていますから」

 浦島太郎が、帰ってみると何と300年の年月がたっていました。さみしさのあまり、太郎は開けてはならないその玉手箱を開けてしまいます。一番大事な宝、それは寿命だったのです。玉手箱から立ち昇る煙の中で太郎は瞬く間に白髪の老人となってしまいました。

 幼い頃は、その結末がとにかく恐ろしかったです。竜宮城での3年が、人間社会では300年もたっていたというタイムラグの話に、それまで経験しなかったような怖さを覚えました。浦島太郎の話はあくまでも物語です。しかし、これは実際あり得ることだそうです。アインシュタインの特殊相対性理論は、これを証明しているとも言われています。同じ「時間」であっても速度というのはどこで観測するかによって変わります。しかし、光は例外でどの立場で観測しても光の速度は「光速度不変の原理」で同じだそうです。それゆえ、私たちの移動速度が光速に近づけば近づくほど私たちに流れる時間は遅くなるというのです。これを「時間の相対性」と呼ぶそうです。

 「時」とは、何と壮大なものでしょう。「時」は神さまのもの、神さまと切り離せないものです。過去、現在、未来と「時」は一方通行で流れていきます。戻ることも、立ち止まることもできません。神さまが「時」を終わらせない限り、「時」はどこまでも進行し続けます。そして、時を知ることは神を知ることにつながります。ソロモンの伝道者の書3章1節には「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」と書かれています。また、同11節では「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない」とも記されています。

 私は「時」は強力な「力」であると思っています。というのも「時」が来れば、どんなに変わるまいと思っていたことさえも変わるからです。かつてドイツは二つに分かれ「ベルリンの壁」がそれを仕切っていました。東ドイツはソ連をバックにした社会主義国に、西ドイツは米英仏などとともに資本主義国にと、一国が壁を隔てて二つに分断されていました。この壁がなくなることは絶望的だと多くの人が思っていました。けれども1989年11月9日、この壁は崩れました。神の「時」が来たのです。

 また、ソ連も社会主義国でしたが、ゴルバチョフ政権のもと、1991年12月24日に、ソ連は崩壊し、その名もロシアに戻りました。人の目には遅いと見えても、神の時は必ずやってくるのです。また、大きな事ばかりではなく、個人においても、立ち直れないほどつらいことがあっても、「時」がその人をいやすことを数多く見てきました。

 神さまは問題を通して、私たちに永遠への思いを与えてくださるのです。問題があったというのは、何かが悪いというのではなく、神を見出すために神が置いておられるものなのです。確かに神の「時」を待つには非常な忍耐が必要です。けれども必ず「時」は来ます。そして、やがてはすべて過ぎ去っていきます。ペテロの手紙第二3章8節には「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」と書かれています。全能なる神は、時を支配されるお方です。私たちは、私たちの目をこのお方に向けましょう。

MIKOE NEWSから転載」 2024年10月17日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/