2017年2月26日日曜日

武器を取りましょう
 先日、ギデオンが、戦いで、戦士300名で13万5000人のミデアン人に打ち勝ったという話を
紹介しました。神の戦いはいつも圧倒的な勝利になります。
 少年ダビデは、大男の戦士ゴリアテに、たった一つの石で勝利しました。また、預言者エリヤはバ
アルに仕えるバアルの預言者450人に対して、たった1人で立ち向かい勝利を得ました。
 神に頼るなら大きな勝利が現されます。どんなに勝ち目のない戦いに見えても、それが神の陣
であるなら必ず勝利します。神が私たちの味方であるなら、誰が私たちに敵対できるでしょう。こう
いう訳で、ピリピ人への手紙4章には次のような聖書のことばがあります。
 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがた
の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなた
がたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」(6、7節)という一文です。
 私たちは、思い煩う生きものです。あの心配に、この試練、この戦いと、問題を前に、私たちの
心は千々に乱れます。しかし、神さまは私たちの全てをご存じであり、感謝の祈りによって、私たち
の心と思いを知り、また、解決を与えてくださいます。
 ローマ人への手紙8章26節には、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」と書かれていま
す。神さまは、あなたにある問題をあなた以上にご存じです。そしてあなたの戦いを戦ってくださる
お方です。
 主に信頼しましょう。そして神さまが与えてくださった感謝という武器を用いましょう。主は必ず勝
利を現してくださいます。
 
(イスラエル北野)

み声新聞2017年2月26日号(第925号)より転載—

2017年2月22日水曜日

御声に聞き従う

 1989年8月、フィリピン・ダバオで、刑務所の囚人たちが待遇改善のため人質を取った結果、銃撃戦となる事件が起こりました。日本人が刑務所に来ると聞き拉致を周到に用意した計画でしたが、日本人は来ず代わりにオーストラリア人宣教師であるジャッキー(ジャクリーン)・ハミルと現地の教会のメンバーが赴きました。ジャッキーと教会のメンバー合わせて5人が殉教し、事件は世界的なニュースとなりました。
 このチームは不思議な事が重なりました。旅行社が飛行機のチケットを間違え、またすぐに変更できるだろうと思われたのに、どうしても席が取れないのです。宣教はみこころなのになぜ?と思いました。
 何日間かの祈りの後、ついにチームリーダーはこのままで行く、これが導きだ、と判断されました。旅行社が間違えたスケジュールのままで行くことが導きだと、神の御声を聞いたのです。
 この後、チケットが変更できるという連絡が入りました。しかし、お断りして最初の予定のままで行きました。それによって奉仕の予定は変更となり、結果的に刑務所の奉仕には行けませんでした。これは、日本チームへの守りの手でした。詳しくは、パウロ秋元著『ダバオ刑務所事件の真相』(み声新聞社)をお読みください。
 本当によく神の御声を聞けたと思います。もし聞き間違えたなら、私たちの命に危険があったでしょう。結婚したばかりの私は9カ月で夫を亡くすところでした。私たちはすれすれのところで守られました。確かにこのような聞き従いは、一朝一夕にできるものではありません。しかし、神さまは私たちの耳を成長させてくださいます。御声に聞き従うことは確かな道です。共に学びましょう。 (イスラエル北野)

み声新聞2017年2月19日号(第924号)より転載—

2017年2月12日日曜日

 
 今年もまた、長崎の西坂で日本二十六聖人殉教記念聖会が持たれます。
 約400年前、この西坂で、外国人6名、子ども3名を含む26名が信仰を全うし、十字架にかけられ、殉教の死

を遂げました。彼らは日本で最初の殉教者です。
 その西坂は、今は公園になっています。他にも殉教の記念館があり、前面には二十六聖人のレリーフがあります。

そして、その土台の所には次のような聖書のことばが刻まれています。
 「人若し我に従はんと欲せば、己を捨て十字架をとりて我に従ふべし(だれでもわたしについて来たいと思うなら、

自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい)」(マルコの福音書8章34節)。二十六聖人は

このみことばを体現していったのです。
 今でこそ、公に信仰を持つことが許されていますが、イエスさまを信じるなら殺されるという時代がこの日本にも確か

にありました。
 日本人といえばおっとりした善良な人たちという印象を持つ方が多いようです。しかし、日本人が日本人に対して

なした迫害の一つ一つは、非常に残酷なものでした。生かさず殺さずの取り扱いで、見せしめとはいえ人間がこんな

残虐な事を考えつくのかと疑うようなひどい仕打ちが老若男女問わず次々に実行されました。
 しかし、迫害の中で流された殉教者の血は、リバイバル(聖霊による信仰復興刷新)の種だと言われています。主

はその血に報われます。こういう訳で私たちはリバイバルを待ち望んできました。そして、その時が来ました。
 殉教者たちは、この世の命ではなく、永遠のいのちを見つめて天に凱旋していきました。彼らから学ぶ事は多いの

ではないでしょうか。(イスラエル北野)

み声新聞2017年2月12日号(第923号)より転載—

2017年2月7日火曜日

300名
300名。これが意味するところをご存じでしょうか。
 士師記に、ギデオンという神の器が登場します(7章参照)。当時、イスラエル人は主の目の前に悪を行っており、それ故、主は7年間彼らをミデアン人の手に渡しました。
 しかし、神さまはイスラエル人を愛しておられ、ギデオンの手でイスラエルを救おうとされました。
 ミデアン人の兵士の数は13万5000人でした。対するイスラエルは3万2
000人です。勝ち目のない戦いになるのは目に見えています。ところが神さまは、これでもまだ民が多すぎると言われたのです。「イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って私に向かって誇るといけないから」というのがその理由でした。
 それで、神さまが、恐れおののく者は皆、家に帰りなさい、と告げたところ、1万人が残りました。しかし、それでもなお神さまは多すぎるとおっしゃいます。神さまはギデオンを通して彼らを水の所に連れて行きました。そこで、舌で水をなめたり、膝をついて飲む者をより分け、口に手を当てて飲んだ者300名だけを引き留め、戦士としました。
 ミデアン人との戦いは、この300名で行われました。300名は、角笛を鳴らし、つぼを打ち砕き、たいまつを握り、「主の剣、ギデオンの剣だ」と声を上げました。神さまはミデアン人を同士打ちにされ、イスラエルは勝利しました。300名が13万5000人に打ち勝ったのです。
 問題を前に、あなたの持っているものもさながらこの300名かも知れません。とても足りない、と思うでしょう。しかし、主が働かれると、そこに奇跡が起こります。神さまへの信頼を堅くしましょう。 (イスラエル北野)
み声新聞2017年2月5日号(第922号)より転載—