2023年5月26日金曜日

生きることの意味 

 大学時代にお世話になった教授が、10年ほど前に『生きることに意味はない~「自己嫌悪」からの心理学』という本を出版しました。大胆な表題だと思います。しかし、いくら教授がそう言っても、私は生きることに意味はあると思っています。年を取ってからはなおさらそう思います。

 年を取ることは、人生の持ち時間がなくなってくるということです。私の父はがんでしたが、いよいよという時に、個室に移ると「自分の集大成の時がやって来た。しっかりと務めてくれ」と家族に言い渡しました。父は、自分のいのちをまとめ上げようとしていました。そして神さまもまた、それを助けてくださいました。多くの証しを残して、父は天への凱旋(がいせん)を果たしました。

 ある時、私は特別な体験をしました。信じてもらえそうにないことですが、今まさに自分が死ぬというところに置かれたのです。その心理状態こそ特別なものでした。死を前にすると人間は何を思うのかということがよく分かりました。

 世の争い、問題、ねたみそねみは早々と遠くに行ってしまい、世への関心がまず失せました。関心はただ一つ、自分は神の前になすべき使命を果たしたか、というものでした。残念ながらその時、その答えはノーでした。自分は何一つとして神のみこころを行っていない、そう思い内心強く焦りました。

 しかし、逆に言えば、どんなに小さくても、神のみこころを行いその実を結んだ者は、たとえ死の陰の谷を歩くことがあっても恐れることがないのです。それどころかその人は天の報いを見ることさえもできます。ですから、天を理解すればするほど、与えられた自分の召しさえ果たすことができれば世のいのちなど惜しくはない、とまでも思うのです。

 重ねて言いますが、私たち一人一人には例外なく使命があります。私やあなたの人生には意味があるのです。造られた目的があるのです。伝道者の書121節に「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」という一文があります。私が皆さんに伝えている神は、この「創造者」です。「造り主」です。使命があるから神はあなたをお造りになったのです。

 あなたが、どんな使命を持つ者なのか、その答えを神に聞きましょう。あなたのために造られた人生は、あなたにとってどんな人生より優れたものです。そして、創造者を若い日に覚えることは重要です。なぜなら、神の働きを行うためには時間が必要だからです。冒頭でも書きましたが、年を取ることは人生の持ち時間が少なくなるということだからです。

 神さまは、私たちの人生をまとめ上げてくださいます。父は神のいのちの中に生き、時満ちて召されて行きました。そのビジョンのいくつかは、家族に引き継がれています。生きることに意味は大いにあります。まずは、あなたの心にイエス・キリストを主としてお迎えしましょう。その時、私たちは救われ、天への確信に満ちた新しい人生に踏み出していくようになります。

 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(コリント人への手紙第二517節)

MIKOE NEWSから転載」 2023年5月26日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2023年5月18日木曜日

いやしと信仰

 いやしと信仰は密接な関係にあります。いやしが働くには、ベースに信仰があるかないかは大きな違いとなります。また、一口にいやしと言っても、病が原因であるものと、悪霊によるものとがあります。その場合はそれぞれ対応が異なります。

 宣教においてイエスさまは、人々への救いの証しとして、各地で数多くのいやしをなされました。ところがマタイの福音書13章によれば、イエスさまがご自分の郷里に来られた時、人々はイエスさまを、あれはあの大工の息子のイエスではないかと言い、イエスさまにつまずきました。救い主としてまたいやし主として、主イエスを認めることができなかったのです。イエスさまは「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです」と言い、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかったと聖書は記録しています。(5458節参照)

 とはいえ聖書は、私たちがいやしに至る信仰を持つことができるよう、イエスさまが助けてくださっている様子も記載されているので、自分を見て失望する必要はありません。

 マルコの福音書9章に、おしとつんぼの霊につかれた男の子のことが取り上げられています。この子は、幼い時から悪霊につかれ、八方手を尽くしましたが良くならず、やっとのことでイエスのもとに行き着きました。イエスさまは、「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか」とお父さんに尋ねました。「幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください

 こう語った次の瞬間、イエスさまはお父さんを叱咤(しった)しました。「できるものなら、というのか。信じる者には、どんなことでもできるのです」。それを聞くとお父さんは、なりふり構わず叫びました。「信じます。不信仰な私をお助けください」。イエスさまは、わざを行うにあたって、お父さんの信仰をまず立て直すことを必要とされたのです。霊は出て行き、男の子は解放され、いやされました。お父さんもまた長い苦しみからいやされたのです。

 また、マタイの福音書92730節で、2人の盲人がイエスにあわれみを請うた時、イエスさまは2人に「わたしにそんなことができると信じるのか」と言いました。盲人たちが「そうです。主よ」と言うと、イエスは彼らの目に触って「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言い、その時から彼らの目が開きました。主は、確かに信仰とともに働かれるのです。

 いやしの信仰を持ちましょう。仮に持っていないと思っても、諦めてはいけません。神さまに求めましょう。私たちの信仰は、神が与え、支えてくださっているのでむなしく地に落ちることはありません。私たちの信じた通りになるのです。
 病には失望と忍耐がつきものです。長く待たされると、やがて信仰も枯渇してしまいます。ですからイエスさまは、あるいは叱責され、あるいは「わたしにそれができると信じるのか」と問われたのです。そして、私たちはそのイエスさまのことばによって奮い立ち、いやしに至らせる生ける信仰を取り戻すことができたのです。

 へブル人への手紙に「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(111節)という一文があります。信仰は目にこそ見えませんが、生きて働くものであり、受けたと信じるその信仰は奇跡を刈り取らせます。いやしもまた同様で、私たちの内にいやされる信仰という実を結ばせます。主イエスに信頼しましょう。主は最善をなしてくださいます。

MIKOE NEWSから転載」 2023年5月18日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2023年5月13日土曜日

聖書という規範

 和田アキ子さんは、歌唱力に秀でたベテラン歌手として有名です。歌がお上手なだけでなく独自のキャラでバラエティー番組でも活躍しています。今は芸能界のご意見番という立ち位置におられますが、結構な苦労人だと聞いています。

 私も、和田アキ子さんは歌がお上手だと思っていました。ところが、ある時彼女が歌った「アメイジング・グレイス」を聞いて、私はここまで心に響いてこなかった「アメイジング・グレイス」は珍しいな、と思いました。「アメイジング・グレイス」は、ご存じの通り曲調が感動的で盛り上がります。そこに魂を入れるようにして皆さん内側から朗々と歌い上げます。ところが、その時の和田さんの「アメイジング・グレイス」はただ大きな声を出しているだけのように感じ、本当の歌詞の意味が分からないまま歌っているのでは、と思いました。この歌は有名なゴスペルで、多くの方が歌っています。魂のない歌がここまで空虚に感じるものだとは、思いもよりませんでした。

 それに引き換え、同じく歌手の本田美奈子.さんが白血病を克服し退院した日に歌った「アメイジング・グレイス」は、真に心を打つものがありました。ゴスペルは霊の歌です。ゴスペルを歌うということは、神に対して歌うというものです。神への畏敬、神への愛、神への感謝、これらが歌うべき内容で、神もまた私たちの歌を受け取ってくださいます。

 おそらく、和田さんの歌うゴスペルに魅力がなかったのは、神を歌っても肝心の神を知らない、ということにあるでしょう。ここにゴスペルと他の歌の違いがあります。ゴスペルは生ける神にささげる私たちの礼拝です。神との出会いと喜びに満ちています。神を抜きにしてゴスペルはありません。そこに神がおられるからこそゴスペルには力があるのです。

 テモテの手紙第二312節に次のような一節があります。「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」。これは、聖書の力、聖書の役割を語っています。聖書は、ずれていった所から私たちを引き戻し、あるべき所にあるよう矯正する力があるのです。

 若いころ、某国に聖書を持ち込むという働きに加わりました。当時、某国ではリバイバルが起こっていて、多くの人が救われてきました。しかし、圧倒的に聖書が不足している状況でした。すると、せっかく救われたのに聖書から学ぶ機会がないことで、教義を曲解したり異端に陥ったりするものが後を絶たなくなり、聖書を求める動きが広く起こってきました。

 また先日、ある精神科医が、YouTubeでキリスト教を語っていました。しかし、その内容は奇抜かつ支離滅裂で、どうしたらそう読めるのかと思うくらい、なっていませんでした。
 聖書の情報は知っていても、神さまを知らない、そのように思いました。聖書を解き明かすのは聖書によります。そして、それは正しい神理解に進ませます。聖書は、霊的な書物であり唯一の規範なのです。

 そして、信仰を矯正し立て上げることは、私たちに内住される聖霊さまがなさいます。聖書は、私たちが神の元へ行くためにあらゆることを矯正し、立て上げ、受け継がせる力があるのです。このことを知り、これを歓迎し、あなたもまた聖書という確かな土台に立ちましょう。その中で正しく神と出会い、神さまを知っていきましょう。 

MIKOE NEWSから転載」 2023年5月13日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

2023年5月4日木曜日

原則 

 神さまというお方は、ご自身が定められた神のことば、あるいは聖書の原則に対して、ご自分もまたそれに従われます。それは、神のことばは地に落ちてはならないからです。あえてことばを超えて働く例外もありますが、通常はご自身で定められた働きの原則をお持ちで、その原則に従って、事を成し遂げることを旨としておられます。聖書は、その規範です。聖書に書かれていることに従って事は成り、誰であれ聖書の原則通りに行うなら、原則通りの実を結びます。

 私は23歳で結婚し、1年間、千葉県柏市の柏教会で牧会に当たった後、熊本教会に遣わされ、骨を埋める覚悟で赴任しました。着任してから23年が経ち、慣れてきたところで、鹿児島における教会形成の重荷を果たすべく、祈りとともに具体的な踏み出しを模索していました。

 その日、早天祈祷で改めて鹿児島の教会形成を語られ、時が来たと吟味した上で、牧師である夫が単身鹿児島に向かい、聖会会場を探しに行きました。そこから、月に1度教会のメンバーと共に車で鹿児島に向かい聖会を行うという形が出来上がりました。

 とはいえ、いくら待っても鹿児島の人は来ませんでした。アウトリーチをして、霊の戦いをして、私たちは待ちました。気が付けば1年がたち、さらに数カ月がたち、経済的な負担も限界まで来ていました。信仰の試しの期間であったと思います。

 そんな中、追い打ちをかけるように会場が借りられないという事態が起きました。どこを探しても会場がなく、ついに鹿児島教会の働きもここまでかと思いました。それでも、感謝していつも通り聖会を持ち、かねてからの霊の戦いを行い、語られた通り天文館通でトラクトを配布しました。

 そこからが、神の手でした。天文館通で、お母さんに連れられた女の子が具合悪そうにもどしているところに出くわしました。通り過ぎたのですが気になって戻り、「私は牧師です。お嬢さんのために祈らせていただけませんか」というと、何と「私もいやしを信じるクリスチャンです」とお母さんが言うではありませんか。そこから一気に話は進みました。お嬢さんは速やかにいやされ、懸案の会場予約もそのお母さんが手配してくださることになりました。問題は一気に解決したのです。

 迎えた翌月、そのお母さんの友人を含めて鹿児島聖会は20名を超える方々でにぎわいました。信徒0、礼拝場所もないところから、一日にしてこのような逆転と勝利の御手が動いたのです。しかも、何名かの方々は所属教会が遠くに移転するので、通う教会を探していたところだといい、来てもいいかというのです。信徒までできて、こうなればもう鹿児島教会の実質的なスタートだと言っても過言ではないでしょう。神のことばは成就しました。これは神がなされた奇跡です。

 なぜこういったことが起こったのか、それは難しいことではありません。行ったのはただ祈り、神さまから示されたことに従っただけです。しかし、これが神さまの原則でした。人間的な手段によらず、早天祈祷、霊の戦い、など神さまが導かれる原則を見つつ、一つ一つ地道に聞き従いを積み上げてきたのです。すると時が来て、人手によらず芽が出て実を結び、やがて豊かな収穫を刈り取るようになったのです。誰であっても、神のことばに従う、という神の原則にのっとり行うなら神さまは奇跡を現してくださいます。

 その後、熊本教会から鹿児島へ通ったいつものメンバーは全員、それぞれ開拓教会の牧師として、伝道師として立てられました。このような奇跡のみわざにあずかったことは、彼らにとってもきっと牧会生活の宝となっているでしょう。神のことばは必ず成就されます。その原則に従い、忍耐して神のことばにとどまるなら、あなたを通しても神は働き、ご栄光を現してくださいます。

MIKOE NEWSから転載」 2023年5月4日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/