2012年7月31日火曜日

新しくされる

 ヨハネの福音書3章で、イエスさまは、ニコデモというユダヤ人の指導者に、興味深いことを語られました。「人は、新しく生まれなければ、神の国 を見ることはできません」(3節)というものです。新しく生まれなければならないとはどういうことでしょう。
私はこのみことばには、深い思い入れがあります。18歳のころ、私は上京し、友人に誘われて高円寺の教会へ行きました。そして、そこで、このこ とば通りのことを受けました。A牧師に祈っていただいたのですが、とても神を近く感じました。そして聖霊によって倒され、頭のてっぺんから足先に 至るまで、清い水で洗い流されるかのようなご臨在にあずかりました。
全ては一変し、目に映るもの全てが生き生きとし、私は、自分が新しい人になったことを知りました。救いの門が開かれており、私はそこを入って神 の子とされました。そして約束通りに聖霊さまによって神の国を見ることができるようになったのです。何という恵みでしょう。
コリント人への手紙第二5章17節には次のように書かれています。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いも のは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」
イエスさまは私たちを新しくしてくださいます。私たちは自分で自分を変えようとしても挫折や不足を感じるばかりでしょう。しかし、イエスさま を、あなたの主とするなら、主は全能の御手をもって私たちを新しく造り上げ、神さまの望むかたちに造り上げてくださるのです。
イエス・キリストを信じましょう。古いあなたは過ぎ去り、あなたは新しくされます。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年8月5日号(第687号)より転載—




大 志

 「少年よ。大志を抱け」。これは有名なクラーク博士の言葉ですが、もともとはその下に、「イン・クライスト」という一言が付いていました。「イ エス・キリストにあって大志を抱け」とクラーク博士はおっしゃったのです。
 大志とは何か。それは、キリストが下さる大きな志のことで、ビジョン(幻)とも言い換えることができるでしょう。イエスさまが与えてくださる目 的や目標です。
 ビジョンを大きく持つことが、いかに大切なのかは、高校野球に例えると分かりやすいかもしれません。甲子園に行き、そこで優勝することを目指し て訓練してきたチームと、出場することに焦点を合わせてきたチームとでは、練習の内容も訓練も大きく異なったでしょう。それ故、幻は大きく掲げる のがよいのです。大志があればこそ、その厳しい訓練にも耐え、結果、働きの実を豊かに結ばせるからです。
 私たち一人一人にも、神さまが用意してくださっている使命があります。イエス・キリストによってそれを知るなら、その幻は皆さんを育て上げるこ とができます。困難、苦難に耐えるのです。大志は、あなたを育み、忍耐を働かせ、やがてそれは成就します。
 人というのは怠惰な者で、大志がなければ、努力することも自制することも強いられなければできません。箴言の29章には、「幻がなければ、民は ほしいままにふるまう」(18節)と書かれていますが、本当にその通りなのです。
 しかし、大志を持っている人はその成就まで耐え抜きます。
 まもなくリバイバルは起こります。いえ、すでに起こってきています。キリストにあって高い幻を持って歩んでください。主はあなたの人生を輝かせ てくださいます。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年7月29日号(第686号)より転載—



2012年7月17日火曜日

福音の力

 私の夫は牧師という本業の傍らに、アルバイトをしています。そこに、Aさんという同僚がいますが、Aさんは夫が牧師だと知ると、「キリスト教っ てどんな教えだ?」とそっと聞いてきました。夫は、イエス・キリストの十字架の贖いを語り、イエス・キリストを信じるなら救われる、と福音を語り ました。そして、人は必ず死ぬこと、その死に対して備える必要があること、その備えはイエス・キリストの福音を信じる他ないことを伝えました。
 するとAさんは「俺は信じるぞ。あんたの話は気に入った。うん、俺は信じる」と語りました。仕事場だったので、それ以上突っ込んだ話はできませ んでしたが、Aさんは「俺は信じる」としきりに口にしていました。
 その後、Aさんに病気が発見されました。てんかんです。治療に専念するため、職場にはあまり来なくなりましたが、先日、夫の上司を通して、その 後の消息を聞きました。実はAさんはてんかんの他に、脳の血管に大きなこぶのようなものがあったのですが、そのこぶが何の治療もしていないのに完全に消えていたそうです。脳の写真には確かにこぶが存在していた痕跡があったので、医者は不思議だ、奇跡だと言っていたそうです。
 夫の上司は「あいつにはそんな信仰心などないはず。現代の奇跡か」と驚いており、夫は、福音を語っておいてよかったと言っていました。
 あの時、Aさんがどんな思いで「信じる」と言ったかは分かりませんが、イエスさまはご存じで、最善を与えてくださいました。私たちが福音を語る 時、それを聞いて信じるのなら、その人の内に神さまのわざが起こるのです。福音を宣べ伝えていきましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年7月22日号(第685号)より転載—



2012年7月9日月曜日

救 い

 キリスト教には「救い」があります。宗教は多くあっても、「救い」を語る宗教はキリスト教以外にはありません。
 救いとは、永遠のいのちです。人は死んで終わりではなく、死んだ後、天国か地獄かのどちらかに行きます。救いとは、天国へ行くことをいうので す。
 イエスさまの十字架の贖いを信じるなら、皆、「救われ」ます。これが神の約束です。悟りや苦行は賢いもののように見えますが、「救われ」ませ ん。全ての人が平等に救われるため、神は、ただ信じることそれだけで「救われ」るようにしてくださいました。他の重荷は一切ありません。
 イエスさまは、前もって弟子たちに告げていた通り、十字架につけられ、死なれました。しかし、3日目によみがえられました。この「復活」こそ が、キリスト教にしか救いがないことを証明しています。
 というのは、他宗教の教祖たちは誰一人として自分を死からよみがえらせることはできなかったからです。
 神さまは、私たちを愛してくださった故に、イエスさまを下さいました。イエスさまは、私たちを罪や死から買い戻すために、十字架で死なれ、三日 目によみがえりを果たされました。これこそが、「救い」であり、そして、信じる者はみな救われるという福音の証しとなりました。
 私たちは皆、死の下に置かれています。確かに私たちは生きているのですが、その命は永遠に存続するものではありません。必ず死がやって来るので す。
 どうか、この素晴らしい「救い」を受けてください。ありのままのあなたでよいのです。神はあなたの父となり、あなたのために備えられた人生へと あなたを導き、天の御国をあなたに与えてくださいます 。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年7月15日号(第684号)より転載—



2012年7月2日月曜日

高ぶりの誘惑

 私の住む北海道は、道を挙げて日本ハム・ファイターズを応援しています。コンビニに旗がはためいていて、中田選手の姿がプリントされています。
 野球に関してはまったくの門外漢である私は、この人は誰?から始まって、中田選手のたどった道を聞きました。高校時代から天才バッターとして注 目され、ドラフト1位で入団したこと。若さ故に有頂天になりましたが、思うように成績が伸びず、2、3年間、2軍に落とされ、そして再び1軍に 戻ってきたこと。
 興味深いのは、中田選手の語る言葉が変わったことです。自分の栄光を語らず、チームやお客さんへの感謝を口にし、謙虚になったといいます。
 中田選手といわず、私たちはみな、褒めはやされることに弱いものです。褒められると、つい自分を誇ってしまい、結果、自分が神にでもなったかの ような
思いすら持ってしまいます。
 聖書の使徒の働き12章に、ヘロデという王様の話が出てきます。定められた日に、ヘロデは王服を着て、王座に着き、演説を始めたところ、民衆 は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けました。「するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからであ る。彼は虫にかまれて息が絶えた」。こう書かれています。(21—23節)
 ヘロデは自らを神とする高ぶりに乗っかってしまったのです。これはあってはならないことでした。しかし、そこでは、そうさせてしまう民衆の叫び がありました。
 全ての働きは神さまの恵みと祝福によるものです。主を恐れましょう。そして神に栄光をお返ししましょう。そうすれば、神さまはもっと祝福してく ださいます。
(イスラエル北野)

み声新聞2012年7月8日号(第683号)より転載—