新約聖書のヨハネの手紙は、イエスが愛された弟子、ヨハネの手によるもので、その主題は愛です。
愛とは何でしょう。
ヨハネの手紙第一には、このように書かれています。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(4章10節)
なだめの供え物としての御子、というのは何のことを言っているのでしょうか。
御子とは、イエス・キリストです。
イエスは神のひとり子で、神のみこころに従って、全ての人を救うため、時至って世に来られました。
生まれながらの罪人で、罪過(ざいか)の中に死んでいた私たち、人を愛しあわれみ、私たちの罪を負い、十字架で死なれることによって、贖(あがな)いを成し遂げてくださいました。
このイエスによって、私たちは永遠のいのちを受けました。ここに神のご愛が明らかにされたのです。
無条件の愛。これが神の愛です。
ローマ人への手紙8章32節に
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう」
と書かれています。
御子をさえ惜しまれなかった神は、今や全てのものを、あなたに下さると知ってください。
神はありのままのあなたを愛しておられます。
理由があって愛されるというのはある意味当然です。
しかし、神の愛はそれに見合うような条件も区別もありません。
受ける価値のない私たちに、ただ一方的な恵みによって、愛は私たちの上に広く注がれています。
また、あえて言うなら、神さまのご愛に最も近い愛は、親が子に持つ愛だと思います。
これもまた掛け値なしに無条件で愛する愛で、私自身、親となってみると、子のためなら自らを犠牲にすることをいとわない心が与えられていて、驚きました。
イエスさまもまた十字架で死なれることを恐れませんでした。
それは私たちを愛しておられたからです。
イエスは私たちの身代わりとなって死に、また3日目によみがえられました。
これほどまで、神はあなたを愛しておられるのです。
愛は死よりも強く、イエスさまが十字架で死なれたのは、あなたを愛し、神の子とするために、死をもってあなたを縛っている悪魔からあなたを取り戻すためでした。
それ故、今日この時にあなたもイエスさまを信じましょう。イエス・キリストを救い主として心にお迎えしようではありませんか。
(イスラエル北野)