2019年7月10日水曜日

唯一の救い

 あなたにとって、イエスさまはどういうお方でしょうか。救われる前、私はイエスさまのことは、よくできたお話だと思っていました。
 ところがイエス・キリストの御名(みな)は世界中に知れ渡っており、この信仰は現在も多くの実を結び続けています。死人がよみがえり、病がいやされ、サタンの縛りからの解放がイエスさまのお名前によって今なおなされています。
 イエス・キリストは、神のひとり子です。神さまは私たちを愛するが故に罪や死から私たちを贖(あがな)い出そうと救いの計画をお持ちでした。そこで、今から約2000年前にイエスさまがこの世にお生まれになったのです。イエスさまはおよそ30歳で公生涯に立たれ、多くの病人をいやし、悪霊に制せられている者を解放し、神の国の到来を告げ知らされました。
 そして3年半の後、イエス・キリストは十字架にかけられ死なれました。イエスに期待した者たちは望みがついえ、悲しみます。
 しかしその死が何よりも大きな勝利であったのです。イエス・キリストの死は、私たちの罪が贖われるための代価であり、私たちはこれによって救いを受けたのです。
 さらに、イエスさまは3日目に復活されました。贖いはここに完成しました。イエス・キリストを救い主と信じ、自分の罪を悔い改めるなら、もはや罪に定められることはありません。私たちは永遠のいのちを持つようになったのです。
 コリント人への手紙第一1555節には「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか」と書かれています。主は死に打ち勝たれました。イエスさまを信じるなら、もはや死を恐れることはありません。十字架という代価を払って主は私たちをご自身の元へ買い戻してくださいました。イエスさまこそ唯一の救いです。(イスラエル北野)

み声新聞2019年7月14日号(第1050号)より転載—

2019年7月3日水曜日

 

 イエスさまは、公生涯においてさまざまな奇跡を行われました。その中で、5000人の給食として有名な奇跡が各福音書に記されています。ヨハネの福音書6章をご覧ください。
 大勢の人の群れがご自分の方に来るのを見て、イエスさまはまず弟子のピリポを試して言われました。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」(5節)。頭の良いピリポは、概算して言います。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリ(労働者の200日分の給与)では足りません」(7節)。これは、ピリポにとって思い付く最高の金額でした。しかし、それでも足りないと分かっています。計算不能。これがピリポの答えでした。
 次いでアンデレがイエスさまの所にやってきて言いました。「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう」(9節)。彼もまた足りないことを承知の上で、パンと魚を差し出してイエスさまを待ちました。
 そこでイエスさまは、群衆をすわらせ、パンを取り感謝をささげてそれを分け、魚も同じように欲しいだけ人々に分けられました。その上で、余ったパン切れを集めると12のかごがいっぱいになりました。アンデレが「それが何になりましょう」と語った五つのパンと二匹の魚から、万という数の人々が食べ、また養われました。これは、奇跡です。
 こういう訳で、私たちもまた、神さまに信頼して信仰を働かせていきましょう。たとえ、あなたの持っているものがわずかなものであっても、またあなたに力や能力が無くても、持てる全てのものをキリストにささげ、より頼むなら、必ずイエスさまは全能の御腕(みうで)をもってあなたを受け取り、栄光を現してくださいます。信仰のあるところに奇跡があります。(イスラエル北野)

み声新聞2019年7月7日号(第1049号)より転載—