2013年4月30日火曜日


サマリヤの女
 当時、イスラエルは、他宗教が混じらないよう、異邦人との婚姻を禁じられて
いました。しかし、長い年月の中で、異邦人との雑婚もまた生じ、彼ら はサマ
リヤ人と呼ばれ、ユダヤ人は彼らと付き合いをしませんでした。しかしヨハネの
福音書4章には、イエスさまは「サマリヤを通って行かなければ ならなかった」
と書かれています。
 イエスさまが、サマリヤにある井戸で休んでおられたところ、サマリヤ人の女
が水をくみにやって来ました。イエスさまは「水を飲ませてください」 と願い
ました。女は、あなたはユダヤ人なのになぜ私に?と驚きました。
 イエスさまは、女に言います。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがあり ませ
ん。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき
出ます」
 女は、「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいよう
に、その水を私に下さい」と言いました。
 すると、イエスは「行って、あなたの夫をここに呼んできなさい」と言われま
した。女は「私には夫はありません」と言いました。イエスさまは「夫 がない
というのはもっともです。あなたには夫が5人あったが、今あなたと一緒にいる
のは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことは本当 です」
 これには女も驚きました。全てその通りであったからです。かつて5人の夫を
持ち、内縁の夫と暮らす女にある癒えぬ心の渇きをイエスさまはご存じ でし
た。主は、その渇きを満たすためサマリヤにまで来られたのです。主は全ての人
の主です。あなたもいのちに至る水をお受けし、人生の渇きから解 放されてく
ださい。 (イスラエル北野)

み声新聞2013年5月5日号(第726号)より転載—

2013年4月27日土曜日


真実なことば
 月に一度、私たちの教会で礼拝のご奉仕をされていた宣教師のGさんはある時
ある思いに苦しみました。説教のご奉仕がうまくいかなかった、という 自責の
思いです。サタンが、奉仕の失敗という思いを入れたのです。
 打ちひしがれたGさんは、説教がうまく行かなかったということを祈りまし
た。力の足りなさを嘆く彼に、主は何と「忠実なしもべよ」と呼び掛けて くだ
さったそうです。予想外のことばにGさんの目から熱いものが流れました。神の
愛に触れたのです。
 Gさんの思いと、神さまの思いは異なりました。このように、私たちの見方や
判断と、神さまの見方や判断が異なるということは、よくあります。
 私たちの教会の南の方で牧会をしておられる某牧師は、自他共に認める、絶対
に牧師には向かない人でした。本人は、全く悪気はないのですが、なぜ か、
皆、彼と話をすると、怒り始めてしまうのです。しかし、会堂管理や会計など実
務に優れたものがあり、本人も「自分は牧師ではなく、会堂管理者 として献身
する」と語っていました。
 しかし、ある時神さまは、預言を通して「彼は牧師の器である」と語ってこら
れました。預言は吟味しなければなりません。居合わせた人は皆「これ は違う
だろう」と判断しました。
 しかし、主は再び語ってこられました。どうも本当に神さまが語っておられる
のではないかと判断した結果、彼は牧師として立てられました。今で は、複数
の教会を建て上げ、「まさに牧師にふさわしい」と教会の中でも慕われています。
 神さまは、あなたを正しく見てくださいます。神さまのことばこそ真実です。
神さまのことばに従いましょう。
         (イスラエル北野)

 み声新聞2013年4月28日号(第725号)より転載—

2013年4月17日水曜日


祝福します
 旧約聖書の民数記22章のお話です。バラクというモアブの王様が、預言者バラ
ムに「来てイスラエルをのろってください」と彼を雇ったことがあり ました。
これは神のみこころではありませんでしたので、主の使いが、抜き身の剣を手に
持ってバラムの前に立ちはだかりましたがバラムには見えませ んでした。乗っ
ていたロバが急に動かなくなったのでつえで3度打ったところ、主は、ロバの口
を開き、ロバは、「私があなたに何をしたというのです か。私を3度も打つと
は。」と言いました。
 この時、バラムの目がひらかれ、抜き見の剣を持つ御使いが、自分の前に立っ
ているのが分かりました。知らずにそのまま進めば、バラムの命はあり ません
でした。
 主は、バラムにイスラエルを祝福することばを語らせます。
 今まで私は、イエスさまのみ名によってサタンや悪霊などを縛るということは
学び用いていましたが、聖書にたくさんの祝福が書かれているにもかか わら
ず、どういうわけか、イエスさまのみ名によって祝福するということは、したこ
とがありませんでした。
 先日、説教者が、講壇からイエス・キリストのみ名によって祝福します、と宣
言した時、祝福が私の心にピッと届きました。喜びのような、平安のよ うな、
やすらぎが心にひびき、うれしくなりました。そして、それがあまりにも素晴ら
しいので、その日以来、私は祝福することを学んでいます。
 祝福で大切なことは、分かち合うことだと思います。互いに祝福することに
よって、さらに大きな祝福が注がれます。私たちは、祝福を受け継ぐため に召
されているのです。人を祝福する時、自分もさらに祝福されるのです。
     (イスラエル北野)

 み声新聞2013年4月21日号(第724号)より転載—

2013年4月10日水曜日


新しい力
 私たちの教会は、全世界のリバイバルと、終末における神の働きを担うため
に、神によって立てられた教会です。来年の4月1日には、満30年を迎 えます。
若くてスリムだった夫も私も、この30年で確実に年を取りました。
 リバイバルは必ず起こります。それは、神さまがはっきりと語られたからで
す。それゆえ、このことばを信じ、神さまのことばに従ってその準備をす る人
の日々は、大変多忙です。私たちの教会のリーダーである秋元牧師はまさにその
筆頭と言えます。国内外を問わず飛び回り、その多忙さは既にリバ イバルのよ
うです。
 秋元牧師の体力には驚きます。私も一緒に北海道をまわりましたが、お帰りに
なった翌日はダウンしました。N牧師に至っては、共に渡米し、帰国す るやい
なや入院しました。「秋元牧師の体力にはついていけない」が彼の帰国後のこと
ばです。秋元牧師は、かつて病弱だったそうですが、この体力は 一体どこから
くるのでしょう。
 イザヤ書40章には次のように書かれています。「若者も疲れ、たゆみ、若い男
もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のよ うに翼を
かって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(3031節)
主を待ち望むことにその秘訣があるのです。
 神さまに従う時、神さまは私たちに力を注ぎ、若い男以上の力を与えてくださ
います。ヨシュア記に登場するカレブも、85歳になっても「壮健で す」と言い
ましたがそのとおりです。
 神さまを信じ、待ち望みましょう。神さまは、あなたの力となり、あなたの人
生を、新しい、いのちに満ちあふれたものとしてくださいます。
   (イスラエル北野)

 み声新聞2013年4月14日号(第723号)より転載—

2013年4月2日火曜日


神の手のある人生
 私たちの教会に、Giftsというゴスペルグループがあります。最近どんどん知
名度が上がっているので皆さんもご存じかもしれません。
 私はこのGiftsの結成当時の話を聞いていますが、最初は寄せ集めで、歌もう
まくはありませんでした。ところが、年がたてばたつほど歌が上達 し、奉仕の
道も次々に開かれ、フィリピンの奥地やヨーロッパまでも行きました。まさに全
世界に出て行っています。
 このGiftsの上に私は神の手を見ます。神の手が置かれ、神がなさらなけれ
ば、このような働きは起こらなかったでしょう。
 「神の手がある」というのは、実は人生の成功において非常に大切なことであ
り、決定的なことです。神の手があるところにゆけば、誰であっても必 ず成功
します。神さまは、私たちの能力を超えた働きを開いてくださいます。
 教会には、Giftsの他にも多くのゴスペルグループがありますが、いずれも、
神の手をみることができます。その中の一つゴスペルグループ True Vineの姉妹
は、興味深いことを語っていました。彼女は「今の自分の働きは、それをするよ
うに1番目に召された人が、選ばなかったので、私に回ってき た」と言うので
す。何番目にせよ、彼女は神のご計画に乗りました。ここが別れ目でした。今、
主の手によって豊かに用いられています。
 よく、働きは自分に属するのものだと思いますが、確かに自分の力でできるこ
ともあるでしょう。しかし人から出たものは、あるところまでで頭打ち になっ
てしまいます。しかし、神の計画に乗るなら、神があなたを育て、神の業が現さ
れます。神のご計画の上に神の手があります。私たちはそれを選 びましょう。
(イスラエル北野)

み声新聞2013年4月7日号(第722号)より転載—