老いの戸口に立って
世界の「三大美女」の一人として挙げられる小野小町は、有名な歌を残しました。百人一首にも載せられているもので、ご存じの方も多いと思います。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」というもので、美女の誉れ高い小町も、年を経て容色の衰えを気にするようになったということですね。現代語に訳すと「桜の花は、虚しく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに」となります。
私はまもなく還暦を迎える、卒業真近のアラフィフです。人生右肩上がりにきましたが、ここにきて老いを実感するようになりました。きっかけは「白髪」です。2本3本は当たり前と思って気にも留めていませんでした。ところが先日、隠れた所に根元の白髪があることに気付いてゾッとしました。年相応に老化が進んでいるということです。
けれども、聖書では「白髪」は否定的なものではありません。「しらがは光栄の冠」(箴言16章31節)とも「年寄りの飾りはそのしらが」(同20章29節)と書かれています。そればかりかイザヤ書46章には次のように書かれています。
「わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」(3、4節)
とても愛に満ちたことばではないでしょうか。生まれる前から、母の胎内にいる時から、神は私たちをご存じでした。神が私たちを造られたからです。ご愛をもって神は私たちを創造し、慈しみ、私たちが生まれる前から私たちを愛してくださっていました。そして出生後、私たちは地上での生を幾年か神と共に歩み、やがて私たちに白髪が目立つ時が到来します。しかし、神の愛は晩年になっても変わることなく、私たちに注がれ続けているのです。白髪が目立つようになっても、あなたに対する神の愛は動きません。神が私たちを愛してくださっているその愛は「永遠の愛」だからです。
老いを恐れる必要はありません。むしろ、天の御国に近いことを喜びとしましょう。老いの道を行くに当たって、あなたの力では進めなくても、神はわたしが背負うとも、運ぼうとも、救い出そうとさえ、約束しておられるのです。そして、神はずっとそうして来られたのです。あなたが気付く前から。
小野小町は、類まれなる美貌の持ち主でした。しかしそれもいっときの事であって、彼女にも老いがあったのです。年寄りだからといって、小さく自分を見ることはありません。むしろ今こそ使命を果たすために立ち上がる時です。
私たちは、やがては天に帰ります。「生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする」。このように語られる神のことばに力を得、おのおの召しに応答してゆきましょう。
「MIKOE NEWSから転載」 2023年4月28日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/