2024年7月24日水曜日

 リバイバル

 TLEAが、まだ国分寺クリスチャンセンターであった頃、すなわち教会のスタート当初から、この教会には海外宣教が開かれていました。私たちは、ロサンゼルスに行きオンザウエイ教会の祈りのチャペルで祈り込み、また某国へ聖書を運ぶ宣教に加わりました。そして、フィリピンのダバオで、初めて本格的なクルセード(大衆伝道)に立たせていただきました。

 クルセードは私たちには未経験の働きでした。ダバオに着いてみると、いやしと奇跡をうたうクルセードとして大々的に宣伝されていて、どうしようかと皆で顔を合わせました。しかし、神の導きは「やりなさい」というものだったので、ともかく行おうと信仰に立ちました。

 おっかなびっくり現地の牧師たちとともに、いやしの祈りを始めると、現地の牧師に集合がかかり、日本チームが壇上に残されたまま、奉仕は継続しました。そこでチームリーダーが耳の聞こえない女性を祈ったところ、なんと聞こえると言うのです。ハレルヤ、ハレルヤと喜び主をたたえる彼女を見て、聴衆の態度が一変しました。多くの者がいやしを求めて一斉に壇上に上がって来たのです。

 そこから起こったこと、まさにそれはリバイバルといえるようなものでした。今まで一度もいやしを祈ったことのない者もチームにはいました。けれども聖霊さまが大きく働かれました。白内障を祈ると、なんと白目に黒い点が現れて点がどんどん大きくなっていきました。そしてついに黒目になり、完全に見えるようになりました。また、足の悪い方は、祈ると片方の足がもう片方の足の所までみるみるうちに伸びて、いやされました。

 後日、帰国したメンバーの一人は、ためらいながらこう述懐しました。「自分に信仰があればこうなることも分かるんです。けれども、僕にはいやしの信仰がなかった。なのに、その僕を通してさえどんどん人々がいやされてゆくのです。これはどう理解すればよいのでしょう。」

 思うに、信仰は神のことばに従うことにあります。私たちの内側の確信も大切です。けれども、たとえ確信がなくても、行いによって神さまのことばに従うなら、神さまのみわざが現されます。フィリピンのクルセードという神の計画に従った結果、主は既にその働きの実さえも用意されていたのだと思います。

 そして、これはリバイバルを約束されるために、神さまが前もって教会に、また私たちにその一部始終を見せてくださったのだと私は確信しています。また、そこで起きた聖霊さまの顕著な働きに関しては、フィリピンという国自体に働く聖霊の動向がこの働きと密接に関係していたと考えています。

 聖霊が働くところ、人を選ばないということは確かにあると思います。滝のように聖霊が臨む時、その働きを取り次ぐのは、特別な器ばかりでなく、そこここにいる私たちもまた、聖霊の働きを流す管として用いていただけるのです。それを地で行くかのようにこの無名のチームは豊かに用いられ、多くの神の栄光が現されました。

 フィリピンでの最終日、チームはデボーション箇所を通して主からこう語られました。「しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい」(ルカによる福音書17910節)

 彼らは皆、「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです」こう告白して帰国の途に就きました。全員の内に心に大きな喜びがあったことは言うまでもありません。

 MIKOE NEWSから転載」 2024年7月24日、リンク先:https://www.mikoe-news.com/

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